米中枢同時テロから20年、そのとき私は・・・

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2001年9月11日 米国中枢同時テロの瞬間

2001年9月11日 米国中枢同時テロの瞬間(CNN)

2021年9月11日は、米国の中枢同時テロからちょうど20年の節目の年であった。
現地では様々な追悼式典が行われ、日本のメディアでもそれが報じられていたが、当時、私はイタリア・マルタ旅行の終盤を迎えていた。(2021年9月12日 BBC Japan-9/11から20周年の追悼式典、ニューヨークなどで6回の黙とう

そのとき、私は何を感じ、どんなことを書いていたか見返していると、走馬灯のように思い出が甦ってきた。
ちょうど20年という節目の年でもあるし、当時の記録を交えながらコラムを書いてみたいと思う。

アメリカ中枢テロ勃発~2001年9月 イタリア・マルタ旅行記より

タオルミーナ(Taormina)

それはイタリア観光中だった私にとって「遅れて知ったニュース」の1つだった。

現地時間の午後3時、タオルミーナにいた観光客でおそらくこの惨事を知った人はあまりいなかっただろう。
それほど現地はのんびりと観光気分が漂い、カフェで談笑する人たちの笑顔が町中の雰囲気を象徴していたのだった。
まさか、遠く離れたアメリカで大惨事が起きているとは、誰もが想像だにしなかったに違いない。

タオルミーナを出発するときでさえ、私たちのツアーの英語ガイドは「何か大きな事件があったらしい」とだけしか言わなかった。
要するに、このガイドも自分で確かめたわけではなく、休憩時間中に誰かに聞いたことを伝えただけだったのだろう。

バスの中ではエトナ山の噴火のビデオが流れ、今日観光したところを復習しなさい、みたいな雰囲気が流れていた。
乗客の誰も英語ガイドの言う「事件」のことを話題にしなかったところを見ると、ほとんどの人は飛行機事故か中東の爆弾テロぐらいにしか思ってなかったのかもしれない。

タオルミーナ(Taormina)

そして、ツアーは再びフェリーでマルタに戻った。
船内の放送で、いかにもイタリア系の人の名前が次々に呼ばれ、入国審査のときに別室に連れて行かれたのを見た私は、顔つきからマフィアのチンピラが捕まったのかと思ったぐらいだった。

こういう臨検がなぜ行なわれたのか、いつも行なわれているのかはわからないが、10数人が一度に取り調べを受ける現場を見るのは初めてであった。
今考えると、このとき国際交通機関はすべて臨戦態勢にあったのかもしれない。

港にトニーさんが迎えに来てくれたので、彼の車で佐藤さんの家へ戻る。
家へ帰り着いた私たちが見たものは、食い入るようにCNNを見つめる佐藤さん夫妻の姿だった。

「ただいま」「お帰り」という挨拶以外、何も会話がない状態がしばらく続く。
英語のCNNのニュースなど聞き取れる力がない私でさえ、流れる映像と、画面の下に流れるテロップの断片から、シチリアでガイドの言った事件が「このテロ事件」であることがわかるほどだった。

佐藤さんはむろん、旦那はもっと真剣だった。
彼の名前はハッサン(Hasan)、当時は現役のマルタ航空(Air Malta)のパイロットだった。

おそらく帰宅のときから一言もなしにテレビを見続けていたのだろう。
憔悴しきった表情で彼が私たちに話しかけたとき、時計はすでに翌日になろうとしていた。

戒厳令下のNY~それゆけ個人旅同好会 ワンパス博士のコラム

2001年9月11日 米国中枢同時テロの瞬間

2001年9月11日 米国中枢同時テロの瞬間(CNN)

私にとって2001年という年は、自分の個人ウェブサイトを開設し、インターネットで繋がった人たちと初めてオフ会をやった年でもあった。
奇しくも10年前のコラム「サイト開設10周年&10万アクセス間近」にはこう書いてある。

バーチャル空間で知り合った友人たちと実際に会う、これがオフ会の定義なのだが、私にとっての初めてのオフ会は、ウェブサイトを開設する2ヶ月前の2001年10月19日、cabo da roca(ロカ岬)あるいはBeagle(ビーグル)という名が付いた海外投資仲間の会合だった。

一方、私の趣味の一つである海外旅行、こちらはそれゆけ個人旅同好会を抜きにして語れないと思う。

おそらく、ここは数ある旅の同好会の中でも長期間に渡ってメンバーがアクティブに活動しているのではないかと思う。
私がメーリングリスト(これも今や死語に近い?)のメンバーに入れてもらったのは2002年1月5日、ここのメンバーはそれよりもはるか前の1990年代から活動していたというのだから相当なものである。

そう、それゆけ個人旅同好会に参加して、最初の頃だったと思う。

当時のコンチネンタル航空(現:ユナイテッド航空)のマイレージプログラムであったワンパスの上級会員であったことで、ワンパス博士という名前を冠していた方がメンバーにいた。

私は、自分が海外旅行中に911(米中枢同時テロ)の煽りを食ったことに驚いていたのだが、この方は911当時に事件の渦中にいて、生々しいレポートを上げていた。

  • 戒厳令下のN・Y情報 (1) (2) (3) (4)
  • 臨戦下のワシントン報告 (1) (2)
  • 開戦前夜のアメリカ (1) (2) (3)
  • After the war (1) (2)

そして、最近になって海外投資仲間の一人、デラシネさんがポーランドでお亡くなりになっていることを知った。
彼は、それゆけ個人旅同好会にも一緒に加入した仲間であったが、ご冥福を祈りたいと思う。

そして私は・・・

2001年9月11日 米国中枢同時テロの瞬間

2001年9月11日 米国中枢同時テロの瞬間(CNN)

このとき私もこんなことを書いていたな~と思えるのが「米中枢テロの伏線(2002.8.17 – Threat of US strikes passed to Taliban weeks before NY attack by Guardian Unlimited – 日本語訳付)」だ。

当時は、2001年9月22日付のガーディアン紙(The Guardian Unlimited)の記事「Theat of US strikes passed to Taliban weeks before NY attack(米中枢テロの数週間前に米国が空爆するとタリバンを脅す)」を和訳してまで読んでみたかったのだろう。

当時はグーグル翻訳などないから、必死に辞書(英辞郎)を引きながら訳した記憶があるが、果たしてどのくらい合っているだろうか。(笑)
それにしても、20年前のアーカイブが残る英字紙、わずか数カ月程度で消える邦字紙、歴史を紐解くのにどちらが役立つか言うまでもないだろう。

参考までに「米中枢同時多発テロから3年」のコラムは、世間の911のイメージを覆すことを書いている。
果たして真相はいかに・・・

いわゆる9.11が”New War”への引き金を弾くための「やらせ」疑惑であったのではないかというものだった。

最後に

ミラノ・ドゥオーモ(Duomo di Milano)

コロナ禍前は9月と言えば、私にとって海外旅行のシーズンでもあった。
昨日もフェイスブックの思い出を見ていて、毎年のようにどこかに行っていたな~と感慨に耽っていたのだ。

というか、9月にどこにも行っていない年を探す方が早いかもしれない。(笑)
私が本格的に海外渡航を始めた1991年以降の海外旅行記を見ると、30年間で9月に海外旅行へ行っていないのは、1997年、1998年、2003年、2014年(寝台特急北斗星で行く北海道旅行)と2019年(館山日帰り養老渓谷1泊2日)のわずか5回だけだ。

負傷事故の後遺症と、コロナ禍になって海外渡航ができなくなった2020年も「三島へのエクスカーション&小田原でステイケーション」とやっているのだから、9月に何もしていなかったのは、7月に長期旅行を入れた1997年、1998年、そして、仕事の繁忙期に当たっていた2003年だけという驚異的な記録である。

で、今年はどうするのかって・・・
一応、予定はあるのだが、腎疾患(難病)を抱える私が無事に行けるかどうかは神のみぞ知るところであろうか。

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