チェコから一時帰国中の旅友女子を囲んでの貸し切りパーティ、コロナ禍前なら難なく開けたこうしたイベントも、今では稀有なものになってしまったようだ。
去る4月2日、彼女がこよなく愛する豊洲の鮨文に集まったのは、かつては頻繁に会っていた旅友10名、私も最後に彼らに会ったのは、2019年12月4日の「VACATIONS忘年会 IN KIHACHI」以来だった。
私が鮨文に来たのは過去2回ほど、初めて友人に誘われて行ったのが、今から5年前、2017年1月26日の「築地の鮨屋で朝活」、このときは前泊までして参加した記憶がある。(笑)
2回目は、2018年6月14日の「両手に花の築地の鮨ランチ」のときだから、それでも4年のご無沙汰だ。
もちろん、豊洲に移転してからは初めてのことで、フェイスブックで友人の数々の訪問記を見ては、さすが人気店と心の中で思っていた。
そして、2日、奇しくも離れて暮らす母の誕生日でもあったのだが、私もようやく鮨文に行くことができた。
この日にお誘いいただいたチェコ在住の旅友女子とは、2015年9月29日の「旅人コミュニティ『地球が遊び場』の恵比寿オフ会に参加してみた」で初めてお会いした。
そこからしばらくした後、数奇な運命が私たちを翻弄していく。
それは、一般論から言えば、私のようなオヤジが巻き込まれることはないだろうという事件だった。
それからというもの、密会も何回やったか思い出せない。(苦笑)
彼女と最後に会ったのは、2019年3月30日の「代々木公園でお花見&原宿餃子樓」だっただろうか。
この日から1か月後に、チェコへ旅立つと言っていたことが思い出される。
私はこのとき、いずれ欧州旅行のついでも彼女のいるチェコにでもと漠然と思っていた。
しかし、運命は「人間万事塞翁が馬(じんかん ばんじ さいおうがうま=人生における幸不幸は予測しがたいということ)」と言わんがばかりに私を翻弄していく。
2019年12月10日の負傷事故に始まる4カ月の入院とリハビリ、それが癒えて、さあ、いよいよ旅行を復活させようと思った矢先の「悪夢の難病宣告~急速進行性糸球体腎炎」だった。
私にとって旅行を復活させられるか否かの分水嶺は、海外での腎移植だと思う。
今のままでは、2泊3日程度の旅行ならともかく、それ以上の旅行は、現地での透析を手配できない限り、厳しいからだ。
2021年12月30日に「ウズベキスタンから帰国~日本でドナー待機へ」となって早3カ月余り、次回の再渡航はいつになることやら。
最後になるが、2019年以来、約3年ぶりの旅友とのオフ会、久しく忘れていた感動を思い出せてくれた。
コロナ禍がまだ収束したとは言えないが、たまにはこういった集まりも悪くないと思う。
あらためて、この日に幹事をやってくれたオギさんに感謝!
コメント
透析があるにもかかわらず、羨ましいほど活動的な毎日のようで、何よりです。
ブログもほぼ毎日更新だし。
ま、自分はあと2週間くらいは不活発状態が続きますが、それさえ終われば…。
また、何か企画いたします。
コメントありがとうございます。
動けるうちが華ですので(笑)
今のままでいけば、4月中は大丈夫かと