輝ける未来へ~秋の味覚を楽しみながら奇跡への道を確信した日

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2021年10月1日、関東地方が台風16号に見舞われる中、私は4か月ぶりに出勤した。
天候だけを見ると、運命を呪いたくなる荒天であったが、帰宅時の私の心は晴れ晴れとしていた。

職場復帰(復職)できたからではない。
私の選択した進路が間違っていなかったことが確信できたからだ。

3か月前には「悪夢の難病宣告~急速進行性糸球体腎炎」と言われ、生涯透析の身となって、絶望の淵に立たされたが、この1か月間で私には「希望」という名の光が差し込み始めたのだ。

秋の味覚を楽しんで

自宅の柿

今年は柿の生り年なのか、9月末の段階で、私の自宅の庭にある柿の実もご覧のとおりだ。

柿で思い出すのは、2019年12月10日の負傷事故、「柿の木から落ちて骨折、手術、そして入院!」というコラムで書いたことだ。
このときに比べれば、というか、例年に比べても1か月ほど柿が熟すのが早くなりそうだ。

幸いなことに1日の台風による実の落下はわずかだったので、ブログ繋がりの「うさ吉さん」が来られるときには、たくさん柿をお持ち帰りいただけることだろう。

秋刀魚

そして、秋の味覚と言えば秋刀魚、今年も友人である「株式会社まるき木村商店(〒986-2282 宮城県牡鹿郡女川町宮ケ崎字宮ケ崎4−7 電話 0225-53-4135)」の木村くんがプレゼントを贈ってくれた。

毎年のことながら感謝です。

秋刀魚

クール宅急便の中身を開けると、秋刀魚が15匹も入っていたので、いつもお世話になっている近所の人にお裾分け、彼女たちも大変喜んでくれたみたいで良かったと思う。

自宅の夕食

これで思い出したのだが、入院と闘病生活が続いて行くのを忘れていたABCクッキング横浜モアーズスタジオ(通学期限:2024年5月31日)、神奈川県の緊急事態宣言が解除されたことだし、透析の日(木曜日か土曜日)の午後にでも行ってみるかな~

時差出勤を活用して川合式デイトレード(居合抜き1分トレード)

2021年10月1日 デイトレードの結果

1日の川合式デイトレードは、今後、数か月間に及ぶと思われる、iPhoneだけを使ってやるトレードの試金石ともなるものだった。

もちろん、今までも通院スケジュールの都合でそうしたことは多々あったが、10月以降は、自宅でトレードする機会が激減するのと、通勤時に重量のあるiPadと併用するのが困難になってくるので、iPhoneだけのトレードに慣れないといけないからだ。

時差出勤を活用してトレードするのは、主として「居合抜き1分トレード」だ。

「居合抜き1分トレード」というのは、2021年5月29日付で掲載した「川合式居合抜き1分トレード、ツールなしの新しい手法の勝算は」にあるように、前夜にトレード候補として抽出された東証1部銘柄に関して、9時の寄り付き前の気配値を見て、寄り付きの成り行き売買で勝負する手法で、約定価格の0.5%から1%で利確、マイナス2%で損切というルールを持って行うデイトレードである。

2021年10月1日 スズキ(7269)のチャート

私が売建候補として選んだのは、スズキ(コード:7269)と、ピジョン(コード:7956)だ。

スズキ(コード:7269)の方は、寄り付きから一気呵成に下落して、わずか2分で1.5%の利幅(75円)が取れたのだが、ピジョン(コード:7956)は寄り付き後に逆行高して損切するハメになった。

スズキに関しては、その後も「トイレ休憩で株してたら月収50万円になった件」の著者の林僚氏ばりに、トイレ休憩時に仕掛けを入れたのだが、デイトレードでやることではないかな。(笑)

2021年10月1日 ピジョン(7956)のチャート

ピジョン(コード:7956)に関しては、損切幅をマイナス2%に設定していれば、その後の下落で利確できていただけに、損切幅を浅くしてしまったことが完勝を逃す原因となったようだ。

売建のときは、寄り付き後に逆行することが良くあるだけに、川合さんも難しいと言うのだが、日足は完全に下落トレンドだっただけに惜しいことをしたと思う。

8月から始まった奇跡への道

崎陽軒 おべんとう秋

10月1日に4か月ぶりに出勤した私は、上司から「これ以上休みが重なると、(1年契約なので)更新に影響する」ということを言われた。
普通なら落ち込むセリフだと思うのだが、私はそうなったらそうなったときのことだと思った。

なぜなら、私は、そのことはすでに覚悟していたし、NPO法人難病患者支援の会のスタッフからは、2021年9月17日付のコラム「国内にてドナー待機が可能となりました。」に書かれた選択をされるかという打診があったほどだったからだ。

つまり、私以外にも希望者がいれば、腎移植の待機リストに入れるために、海外渡航をするということで、結局のところ、10月渡航(つまり今月)という打診は流れたが、来年の3月までに行く可能性がありそうな気がしている。

それでは、待機リストに登録されたら、どの程度で移植手術ができるのかということについて、ウェブサイトの記述には

日本待機は1~12ヶ月程度まで幅があります。

とあった。
私が8月に海外腎移植体験者に話を聞いた時も、それほど待つことはなかったということだった。

羽田国際空港

9月11日付の「障害年金請求、献腎登録の第一歩、そして出先で川合式デイトレード」で書いたように、日本での臓器移植(死体腎移植)は、日本臓器移植ネットワークに登録してから、平均で約16年の待機が必要と言われたことに比べれば、雲泥の差と言えるだろう。

その間に私の寿命が尽きかねないし、透析のたびに言われるのが、高カリウム血症(血液中のカリウム濃度が高いこと)のリスクだ。
私のように、腎疾患で人工透析をしている患者は、常にこのリスク(不整脈)と隣り合わせだ。
それにも増して、コロナ禍は収まらず、通勤が始まったことで、さらなる感染のリスクは増えた。

海外の腎移植に関して「(病院は)危なくないんですか?」と言いたい人に私は反論しよう。

「日本で透析に16年間(一生)耐えたことによるメリットは何もない。一方で、デメリットはあり余るほどある。最大のデメリットは常に生命の危険に晒され、生きていても貴重な時間(最低週12時間)を失うことだ。」

奇しくも、私が帰宅した後に、メールが届いた。
「先日のHLA検査の結果、移植リスク(拒絶反応)は低く、腎移植に支障はないと考えます。最終的には渡航先の移植チームの判断待ちとなります。」

私は、3月2日付で書いた「奇跡の旅立ちへ向けて~富嶽三十六景の新パスポート取得」の「奇跡」とはこのことかと思うと同時に、海外渡航用新型コロナウイルス感染症予防接種証明書(ワクチンパスポート)を郵送で申請した。

もはや、私の頭の中に仕事のことはなかった。
今から9年前(2012年6月3日)に「Toward a dream-come-true『経済的自由への扉は開かれた』」を書いたときと同じような軽い興奮を覚えていた。

このときに書いた一節を紹介して終わりにしよう。

今の私は仕事のことなど頭の片隅にもない。
また、今後は50代前半で早期退職するという自分自身の進路について悩むことはないだろう。
今回の旅行は、自分の進路が決して間違ったものではない、ということを強烈に暗示しているからだ。
そして、帰国後、私は旅行紀のタイトルを「早期リタイアの実現のために(1)-香港・マカオ旅行」と変えた。
私はもう後戻りする気はさらさらないのだ。

コメント

  1. kimcafe より:

    海外で腎臓移植するためには現地で登録する必要があるということですか?1ヶ月から12ヶ月待ちならすぐじゃないですか、上手くいきますよ(^^)v

    • kimcafeさん、コメントありがとうございます。
      現地で登録と言うのは、死体腎移植の順番待ちということらしいですね。
      そうすると、順番が来た時に呼ばれて再渡航らしく、日本のように16年も待たされることはないと言っていました。
      成功するのを期待したいです。

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