いよいよ7月13日の国際親善総合病院の退院までカウントダウンとなった日、7月10日にドクターが一時外出の許可をくれたので、私は自宅に大きな荷物を持ち帰って、郵便物の整理をし、久々の外食を楽しんだ。
また、横浜市や全国健康保険協会(協会けんぽ)から病院宛に直送してもらった医療関係の手続き書類は、すべて診断書が揃ったので、退院の日にまとめて手続きした。
横浜市役所における障害福祉関係の手続きは、完了するまで2カ月程度かかるというので、入院費の支払いは当面6月分だけ、7月分は後日清算ということになった。
7月10日~束の間の一時外出
そして、10日、私は朝食を終えた後で着替えをし、退院日に身軽に行動できるように、大きな荷物だけ自宅に持ち帰ることにした。
私にとって、片杖歩行で荷物の詰まったキャリーバッグを引くのは結構大変な動作なのだが、昨年10月20日の訪問リハビリの際は、国内外の旅行に備えてそのような練習もしたのだ。
それが今回の入退院のときに生かされたわけだが、何とも皮肉なものだと思う。
一時帰宅で郵便物整理
病棟から外に出ると、真夏の太陽が容赦なく照りつけている。
関東地方の梅雨明けも間もなくだろう。
例年なら心躍らせて旅路へと向かう季節に、私の本格的な病院通いが始まることに、何とも言えない複雑な思いが心の中を交差した。
自宅に戻って郵便物を整理していると、横浜市から送られてきた新型コロナウイルスワクチンの接種券があった。
そこで、さっそく集団接種の予約状況をパソコンで確認するが、私の希望する会場の空きは全くなかったので、病棟に持ち帰って、月曜日にドクターに個別接種が可能かどうか確認することにした。
「博多天ぷらたかお」で昼食
昼食は、せっかくの自由時間なので、久々に外食をした。
あまり病院から遠くへ行くわけにもいかないので、ジョイナステラス二俣川の中にある「博多天ぷらたかお」という店で、天ぷら定食をいただいた。
土曜日の昼間、それも久々の晴天とあって、店の前には行列ができていたが、これは美味しい店なんだなと思い、私も列の後に付く。
10分ほど待って呼ばれた私は、テーブル席へ案内されると、病院食ではほとんど食べられなかった肉を中心とした定食「肉天定食」を頼むことにした。
揚げたての天ぷらが次々と目の前に運ばれてくる。
今までなら食事の前にビールを頼むところなのだが、特別なイベント時以外は飲まない方がいいかもと自重する。
腎疾患の患者は通常、飲水制限をされることが多いらしいのだが、私の場合は、尿だけは正常に出ているので、幸いなことにそれほど厳しい制限は課されていない。
ただ、それもいつまで続くかわからないが・・・
ある程度、料理が運ばれた頃、店内を見渡すと、人気がある店なのか、家族連れやグループで来ている人も多く、お一人様席も含めてほぼ満席だ。
iPhoneを見ると、ちょうどランチタイムなので、これは仕方なかろうと思う。(笑)
これは追加のオプションで頼んだ品々、ちょっと食べ過ぎだろうか。(笑)
まあ、病棟へ帰ったら粗食に甘んじなければならないので、今回は許してもらおう。
7月12日~透析病院見学(善仁会グループ)
12日は午前中の透析の後、午後は退院後の通院先の見学に出向くことになった。
私の住んでいる相鉄沿線だと、善仁会グループの透析クリニックが至るところにあって、私が通勤を再開した後は、勤務先の近くのクリニックに行くのも容易だという。
そこで、私は国際親善病院のドクターの紹介状を持参して、グループクリニックのいくつかを見学することにした。
同じグループなので、違いは午後と夜間の診療可能日だけなのだが、最寄り駅からどの程度近いのかが、私にとって重要なので、実地検証も兼ねて回ることにした。
結果的に、私は7月15日から通院透析を開始することになったのだが、通勤を再開した暁には、診療の場所や時間を変更しなければならないかなとフト思った。
7月13日~退院、そして区役所へ
7月13日、私は予定通りに国際親善病院を退院した。
午前中の退院だったので、健康保険特定疾病療養受療証の申請書(加入している健康保険制度によって違いあり)をポストに投函し、午後は区役所の高齢・障害支援課で、身体障害者手帳の追加申請と、指定難病に係る特定医療費支給認定申請の手続きをした。
ちなみに、横浜市の場合、自立支援医療(更生医療)の給付申請は、身体障害者手帳が1級になると、実質的に申請不要だそうで、人工透析療法を開始した人は、たいていの場合、必要ないそうだ。
ところで、自分でこれらをすべてやってみて思うのは、福祉関係の手続きの煩雑さだ。
総合病院のような大きなところは、たいていソーシャルワーカーがいるのだが、彼女たちは情報提供してくれるだけなので、自分でインターネットや電話を駆使して調べられるなら、それでも構わない。
退院後の初めての食事は、2021年7月末で期限切れとなる楽天の期間限定ポイントを使うため、楽天ペイで決済できるところに行くことにした。
その一つが、相鉄線の星川駅近くにあるバーミヤン、病院食でも麻婆豆腐は出されたが、さすがに青椒肉絲と餃子は出てこなかった。
ここは保土ヶ谷図書館の目の前にあるのだが、本を借りるのはやめにしておいた。
透析をやってもらっている間、インターネット環境があれば、電子書籍の方が良さそうだったからだ。
最後に~旅の代わりの生き甲斐は見つかるか
私の人生は、旅人系投資家とウェブサイトで銘打っているように、国内外の旅行を中心として回ってきた。
言い方を変えれば、生き甲斐そのものであったと言っていい。
それが、今後、下手すれば生涯にわたって叶わなくなった今、私は何を生き甲斐にしていこうか悩んでいる。
カルロス・ハッサンの平成旅日記をご覧になった方は、おわかりかと思うが、旅の期間も1週間は当たり前、時として、10日から2週間というのが私の旅のスタンスであり、精神安定剤であった。
入院中のある種の緊張感から解放され、通院透析が始まり、そこで4時間以上もの間、拘束されていると、過去の良き思い出が走馬灯のように蘇る。
このようなことを日本の医療関係者に打ち明けたところで、おそらく誰も理解できないだろう。
「腎障害を持っている方は皆さん同じですよ」などと言われて、一笑に付されるだけだ。
医療関係者だけではなく、エクスペディアの調査による有給休暇取得率が常に下位にある多くの日本人も同じだろう。(2021年3月4日 エクスペディア有給休暇・国際比較調査2020 第二弾 日本人の有給休暇取得日数・取得率、5年ぶりに低下 一方で「上司や会社が休暇に協力的」は10%以上増加!)
バカンス文化のある西欧諸国の人でなければ、私の気持ちに同意してもらえないように思える。
治療が終わって解放されても私の心は晴れず、下手すれば、急速進行性糸球体腎炎のページに書かれているように、余命2年の仲間入りをするのではないかという不安だけが募る。
果たして、この先、私は新しい生き甲斐を見つけることができるだろうか。
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