去る3月1日の夜間(19:00から21:00)に行われたダイヤモンド社主催の「ちきりん氏登壇『自分の意見で生きていこう』刊行記念セミナー」に参加してみた。
コロナ禍になってから、こうしたセミナーはほとんどがオンライン(ウェビナー)になっていて、この日のセミナーもZOOMを使ったものだった。
学校的価値観の弊害~正解のない命題に答え合わせを求める
私がちきりんさんの講演で気になったのは、「人生は旅である」であるとは良くいわれることだが、どんな旅をしたいのか、どんな人生を送りたいのかは、自分の意見で決めることが必要で、それができないと自分が望む人生は送れないということだった。
何だ、当たり前ではないかとは言うなかれ。
セミナーに先立って送られてきた彼女の著書「自分の意見で生きていこう」の中にはこう書かれていたのだ。
人生に答え合わせは要らない
私たちはなぜ、「本当はこうすべきだ、私はこっちを選びたい!」とわかっていても、誰かに背中を押してもらわないと前に進めないのでしょう?
「誰かに背中を押してもらう」とは、「あなたの選ぼうとしている道もまた、正しい道ですよ」と他者に断言してもらうことを意味します。
自分はこちらに向かうべきだとずっと思っている。それなのに、誰かに「あなたは間違っていませんよ!」と言われるまで選べない。
私はこれを「答え合わせがほしくなる気持ち」と呼んでいます。
本来であれば、 人それぞれ考え方(人生)が違っていて当たり前なのだが、日本ではそうならないことが多い。
ちきりんさん曰く、
生きづらさ問題の背景にあるのは、「学校的価値観」ではないか、というのが私の仮説です。
日本の学校は、算数の計算や理科の法則だけでなく、人生のさまざまな選択についてまで、あたかも正解があるかのように教えます。
たとえば、「しっかり勉強していい学校に入り、卒業後は正社員として安定した職につき、家庭をもっで子供を育てるのが幸せになるための正しい生き方である」といった具合です。
私は、これを模範解答社会と呼ぶことにしたのだ。
要は、選択肢が多岐にわたるものに対しても、一つの模範解答だけを与え、それ以外の選択肢は間違っている(好ましくない)という価値観だ。
英語の授業を思い出してみるといい。
〇〇へ行くという和文を英訳するときに、go to 〇〇しか正答ではないと言われなかっただろうか。
ほかの言い方もあると思うが、模範解答を穴埋めするやり方では間違いになることが多い。
そういったことが繰り返されるうちに、模範解答を示されるまで、何もしない、何も考えないという人が量産される。
自分の人生さえもだ。
拙著を紹介した「轟源次郎の第3作目は、老後の孤独に備えるための処方箋」にも書いたが、2017年10月11日付のダイヤモンドの記事「『一人ぼっち』で過ごす定年退職者の哀愁、午前中の図書館、カフェ、ジム…」は、まさにこの延長線上にある。
私は2017年5月2日付のダイヤモンドの記事「私生活まで社畜化される日本人、『プレ金』に社内行事の企業も」を読んで、えええと思ったのだが、こういった思考停止の人生を他人事(私には無縁)だと笑えるサラリーマンが何人いるだろうか。
生産性~時間とお金という希少資源を自分のやりたいことに割く
もう一つは、彼女が生産性と呼んだ、自分の持っている希少資源(時間とお金)を、自分のやりたくないことに割かないということだ。
これは正直言って、どんな人生を歩みたいかという自分の意見(明確な意思)を持たない人には不可能だし、例え、意見(明確な意思)を持っていても、困難なことが多々ある。
ダークネスの著者、鈴木傾城氏は2021年11月10日付で「実際に人間の時間を奪っているのは怠惰な時間ではない。やりたくもない仕事だ」と書いているが、自分のやりたいことを仕事にしている幸せな人はそれほど多くない。
それでも無為に職場で時間を過ごす人と、明確な意思を持っている人では、同じような境遇(職場)にあったとしても、全く違った人生を歩めることだろう。
2019年6月26日付で私が書いた「老後2000万円を作るのに必要なのは勇気と電卓だ」というのは、そういった意味の典型例だ。
模範解答社会の弊害~権威(強い他者)への依存
セミナーの最中に取った聴衆者アンケートで、一番気になることは「(多数派に対抗して)意見を言えないこと」と答えた人が多かったようだが、これこそまさに日本病と言わざるを得ないだろう。
日本の場合、この多数派というのが意見を持った人たちの集合体でなく、権威(強い他者)へ依存をしている人たちの集合体(これはしばしば空気と呼ばれる)であることが多いからだ。
ちきりんさんは言う。
「強い他者」への依存リスク
答え合わせ思考をもつ人が陥りがちなリスクがあります。
それは、正解のない問題にたいしてまで「正解がある!」と断言してくれる人に出会うと、救われたような気持ちになり、自分で考えることを放棄し、依存してしまうリスクです。
要は、多くの人が(正解と信じている)模範解答を唱える中で、それは違っていませんかということが、日本においてはどれほど苦痛なことか。
それは、多様な意見を戦わせているのでなく、権威筋が発する「空気」という妖怪を相手にしているからだ。
自分の意見を押し通すための決断のカギは、その命題が自分の人生(仕事や生活)にとって譲れない一線なのかどうなのか。
そこで決め手になるのは、自分に確固たる信念(意見)があるかだろうか。
意見を言う練習をしよう
人前で自分の意思表明をすることに慣れていない日本人にとって、いきなり自分の意見を言えと言われても身構えてしまう人が多いだろう。
そういう人は、まず、今日のランチをどうするかと問われたときに、「皆と一緒でいいよ」「貴方に任せるよ」を封印して、自分の食べたいものを、行きたい店を言うことから始めたらいかがだろうか。
そういった単純なことから始めることによって、I think 〇〇(私は○○と思う)という思考が身についていくのだ。
また、これからは、会議などで発言するときは、Because~(なぜならば~)という理由を考えてから発言するようにしよう。
それが思考するという練習に繋がるからだ。
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