2021年7月13日、私は1ヶ月半に及ぶ闘病生活の末、国際親善総合病院を退院した。
その中で、私は急速進行性糸球体腎炎という難病に冒されていることを告げられた。
これからどうやって生きていこうか試行錯誤の中で、ようやく生活が軌道に乗ったある日、私は突然の発熱症状に見舞われた。
しかし、それは単なる発熱でなく、肺炎の症状の一つに過ぎなかった。
土曜日の救急外来~コロナ禍では診察窓口があったことがラッキーだったのか
7月24日、いつものように善仁会グループの透析クリニックに行くと、身体が熱っぽい。
体温計を借りて測ってみると、37度5分を超えていて、発熱外来へ行くように促された。
そこで、どこへ行けばいいのか聞き、受付ロビーでしばらく待っていると、医師の紹介状を持たされ、国際親善病院の救急外来へ行くように言われた。
この時は熱があっただけなのだが、救急外来で診察してもらうと肺炎症状が出ていると言われた。
その日は処方薬をもらって、帰途についたのだが、国際親善病院では、土曜の午後は透析ができないので、新型コロナウイルスが陰性であることが確認できたことで、善仁会グループの透析クリニックへ戻って、透析をやってもらうことになった。
透析クリニックに戻ってきたとき、私の担当看護師のIさんは、私にこう言った。
「コロナ禍の元で、土曜日に救急外来で発熱患者を診てもらえたのはラッキーなんですよ。」
私は朦朧とした意識の中で思った。
ラッキーなんだ。でもここで黄泉の国へ行くのと、透析人生が数十年続くのと、どっちがラッキーだったのだろうか。
容体が急変した日曜日
そして、日曜日、容体は急変した。
熱は38度から下がらず、咳は出続け、痰に血が混じり始めた。
インターネットで恐る恐る調べると、あくまで可能性のレベルだが、肺癌の二文字が目に飛び込んでくる。
マジか。
難病の次は癌かよと泣きたくなったが、ここは病院ではないので、自分で何とかできなければ黄泉の国へ旅立つことになるだろう。
時折、新型コロナウイルスの陽性患者が自宅療養中に死亡するということが報じられているが、まさに私の身に起きていることは、それと瓜二つのことだった。
どこかに電話しろと言われても、声が出せなければ、連絡することさえできないのだ。
コロナで自宅療養中の死者54人、病床足りず入院調整中の死亡例も(2021年5月20日 読売新聞)
自宅療養中の新型コロナウイルス感染者の死亡について厚生労働省が患者情報の集計システム「HER-SYS(ハーシス)」で分析したところ、5月18日までの107日間で計54人に上ることが20日、分かった。
自宅療養中に容体が急変し、自治体などが対応できずに死亡するケースは、年末年始に感染が急拡大した第3波以降、全国で相次いでいる。
各自治体は自宅療養者に血中酸素濃度を測る「パルスオキシメーター」を貸与するなどの対策を講じているが、死者数のペースは落ちていない。全国の自宅療養者は今月12日時点で3万4537人に上り、入院患者(1万6620人)の倍に当たる。
同省は感染者急増で病院のベッドが足りず、入院調整中に自宅で亡くなった人もいるとみている。
自ら救急車を呼んで病院へ
月曜日(26日)まで様子を見ても何ら好転しないので、私は入院を告げられる覚悟で準備を進め、iPhoneの119を押した。
もはや、悠長に外来の窓口に並んでいる余裕はなかった。
過去2回の肺炎のときは(2011年1月14日付「死線を乗り越えて」、2014年1月7日付「トラブル続きの年末年始旅行、救世主は女性なのか」)、最寄りのクリニックに倒れこむように駆け込んだが、今や定期的な人工透析を必要とする身、自ら救急搬送される以外の選択肢は取りようがなかった。
救急車が到着し、いろいろ質問を浴びせられる。
入院覚悟で乗り込んでいるから、健康保険証やお薬手帳、常備薬、替えの下着、iPadやiPhoneと充電器といった通信機器も全部持ち込んだ。
かかりつけ医はどこかと聞かれて、国際親善病院だと答えたら、そこに連絡が取られ、救急外来の窓口に運び込まれた。
どうやらコロナ禍の元でも、悪名高いタライ回しの刑には遭わずに済んだようだ。
24日(土曜日)に来た時は熱があっただけだが、今度は血痰まで出ていると告げると、様々な検査の末に、1週間ほど入院することになった。
今にして思う、私は救急車で運ばれて入院できたこと自体がラッキーだったのかと・・・
2021年8月3日付のFNNプライムオンラインは「自宅療養中の119番 半数以上を搬送できず 東京都」と報じている。
医師会が政府に圧力をかけ、国民に自粛を叫ぶだけで、コロナ禍における医療体制を脆弱のまま放置したツケがこういうところに回っている。
東京都で感染状況が急激に悪化する中、自宅療養中の感染者が119番通報をしても、半数以上を病院に搬送できなかったことがFNNの取材でわかった。
関係者によると、8月1日、自宅療養している感染者が、体調悪化などで119番通報したのは213件で、このうち病院に搬送できたのは91人、残りの122人は搬送先が見つからず、自宅に留め置かれたという。
また、搬送できたケースでも、救急隊が20カ所から30カ所以上の病院に電話をかけて、搬送先が見つかったという。
感染者数とともに重症患者も急増する中、医療提供体制がさらに厳しくなることが懸念される。
1週間の入院生活へ
入院した部屋は個室だった。
新型コロナウイルスが陰性だったとはいえ、熱と咳が出続けているので、そうなったのだろうが、空室がなければ、入院できなかったかもしれない。
そういった意味では運が良かったのだろうか。
入院初日の26日は、酸素吸入や点滴を始め、色々な処置を施され、高熱にうなされながら病院のベッドの天井を見ていた。
週末(7月31日、8月1日)に奥多摩への宿泊イベントがあったが、キャンセルせざるを得なかった。
私にとっては、1ヶ月半の入院生活後にやってきた久々の楽しみを奪われた悲しみで心は一杯だった。
肺炎の原因は腎機能の低下により、肺に水が溜まっていたことだった。
前回の入院中は尿量がまともにあったので、退院後も安心していたら、そうでもなかったらしい。
ドクターの説明を聞きながら、後講釈でリスク説明せずに、事前に言えと私は心の中で毒づいていた。
私は透析室の看護師や、リハビリにやってきた作業療法士のKさんに、また貴方がたに会うことになるとは思わなかったよと苦笑いをした。
でも、今後、私が横浜市内で119番を回したときには、間違いなくここへ担ぎ込まれることになると思った。
それも今回だけではないだろう。
少し無理すれば、倒れるレベルでは、この先、何回もお世話になるような気がした。
昨年の今頃、毎月のように体重計測し、結果をブログにアップしていたが、そのときの体重が自然減で65キロ(2020年8月、リハビリのある日の光景)、まさに健康体に近づいていたのだが、透析終了時の目標体重をドライウェイト(DW)といって、それと同じようになるように、毎回、人工透析で調整させられるのだ。
つまり、腎機能の低下によって、水分が身体から出て行きにくくなるからということだが、それと同時に服用させられる薬がヤマのようにある。
普通に考えても寿命が健常者のように持つとは思えなかった。
私が昨年夏、ホテルやフィットネスクラブのプールに行き始めた頃(2020年9月6日 激安のアパホテル&リゾート横浜ベイタワーに泊まってみた)、自分の身体を見て、デブだった頃の面影がなくなっていたことに感激したのだが、今や、体重だけは同じでも、たるみ切った醜い腹部を見て、デブだった頃の方がマシと驚きを隠せない。
もはや、還暦近いという老いもあるし、私は精神的にも昨年のような輝かしい未来を感じることはないと痛感した。
それでも入院中は、何かスポーツをされてましたかと聞かれることも多く、昨年4月の退院時に、戸塚共立リハビリテーション病院の理学療法士のOさんから言われた自宅トレーニングメニューを毎日こなしてきた成果なのかと思った。
私の友人たちは、2019年12月10日の負傷事故から奇跡の復活を遂げたことで、また奇跡は起きると言ってくれているが、腎移植の道が切り開かれない限り、それは限りなく難しいように思える。
もはや神に命運を委ねるのみか。
私はイスラム教徒ではないが、ハッサンというニックネームを持っている。
そう、インシャラー(神の思し召し)という言葉が、今の私に最も相応しいセリフかもしれない。
それにしても思う。
今回の入院中、自分で書いた旅行記を読み返すことが多々あったのだが、若い時に、自分のやりたいことをしておいてホントに良かったと思う。
私が2014年11月16日付の「早期リタイアへのファイナルステップ(final step for early retirement)」でも書いたが、
私が60歳になる10年後(2024年)、そして65歳になる15年後の日本を思ったとき、とてもではないが明るい未来を予測することは難しい。
これは私が「未来へのシナリオ」という題のエッセイを10年前(2004年2月29日)に書いたとき、ピーター・タスカ(Peter Tasker)の描くデジタル元禄の主人公、田中春子になろうと決めたときから予想していたことだった。
仮に「2050年の世界-英『エコノミスト』誌は予測する 」で書かれているような日本の未来予測が当たるような情勢になったとき、数十年後には日本人のほとんどが貧困の淵に追い詰められるだろう。
という予測は残念ながら現実化しようとしている。
そういった意味でも2021年6月25日の難病宣告は、旅人系投資家としての転機としては、来るべき時が少しばかり早く来ただけということかもしれないのだ。
最後に~コロナ禍の元で透析患者の発熱があったとき
私は、このような事態を難病宣告直後に高熱でうなされ続けたときに覚悟していた。
そこで、国際親善病院や善仁会グループの透析クリニックで、発熱したときはどうすればいいのか聞いたのだが、電話しろと言われるだけで、確たる答えは返って来なかった。
私は、一連の流れの中で、世間一般のあるあるで、今の日本では発熱自体が禁忌事項で、医療関係者も触れたくないことなのだと悟った。
しかしながら、どんなに注意しても、私は今年の冬には何らかの発熱症状が出ることは避けられないと思っていたし、何事もなく、コロナ禍が収束するまでの数年間が経過するなどと夢にも思っていなかった。
第一、新型コロナワクチンを打った後の副反応で、発熱している人はヤマのようにいるのだ。
厚生労働省の新型コロナワクチンQ&A「ワクチンを受けた後に熱が出たら、どうすれば良いですか。」にあるように、一般の人は解熱鎮痛剤を飲んで寝ていればいいのだが、透析患者はそれも限度があるだろう。
それに対して、確たるマニュアルがないのが、いかにも日本の組織らしいと思った。
日本という国はすべての局面において、リスク管理をするのでなく、あってはならぬと神頼みで生きている国だということが、首相や閣僚以下、医師などの専門家を含めて、すべての国民に染みわたっている国だ。
それゆえに、新型コロナウイルス感染対策も、あってはならぬ思考なので、為政者や野党指導者も実効性のない、滑稽なことが平気で言えるし、対策も付け焼刃的なものが多い。
まさか、7月13日に退院して、1か月もしないうちに、肺炎で再入院するなどと思わなかったが、これも運命なのだろう。
命が助かったのであれば、黄泉の世界へ行くのはまだ早いという神のお告げなのだ。
いつまでこれが続くのか、これも神のみぞ知ることであろうか。
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