柿の木から落ちて骨折、手術、そして入院!

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自宅の柿

今から遡ること、ちょうど5か月前の12月のある日、フト自宅の部屋から外を見ると、庭にある柿の木に小鳥が群がっているのが見えた。

もう柿の季節も終わりか~と感傷に浸っていたとき、11月に取り残した柿があることに気づいた。
そう、単にこれだけのことだったら、5年前に書いた「予想外の豊作だった柿に小鳥が鈴なりに」と同じ、単なる日記で終わっていたのである。

柿の木が折れて路上に落下

自宅の柿

さて、ときは2019年12月10日にさかのぼる。
私は自宅の屋根裏のネズミ駆除をやってもらうために、住環境保全補強協会を通じて、フレックス株式会社という駆除業者を呼んでいた。

この日でいよいよ駆除の総仕上げをするというので、私が立ち会っていたのだが、部屋からフト外を眺めたときに、取り残した柿に、またもや小鳥が群がっているのが見えた。

別に、私は小鳥と張り合おうとか、空を飛びたいとか思ったわけではない。
ところが、皮肉なことに、柿を取っていた私は、突然、重心が崩れ、掴まっていた木の枝が折れて、そのまま路上に落下した。

落下した衝撃で身体に激痛が走り、私はその場で大きなうめき声を出していた。
私の異変に気付いた駆除業者のスタッフが、救急車を呼んでくれたので、私はそのまま病院に搬送されることになった。

路上に落下したときに、頭や首を打っていなかったことが唯一の救いだった。

緊急手術、そして入院

聖マリアンナ医科大学病院

ここから私の4か月の入院生活が始まる。

救急車で聖マリアンナ医科大学横浜市西部病院に運ばれた私は、そこでは手術ができないほどの重症だと宣告されて、検査の後で聖マリアンナ医科大学病院本院に転院、そこで緊急手術を施されて、そのまま入院となった。

手術はその日の18時過ぎから行われ、私の麻酔が切れて気づいたときは深夜を回っていた。
そばに家族の顔が見え、時計を見た私は一瞬、0時過ぎという時間が冗談に思えた。

手術の翌日からICUにいた2日間は、生きた心地がしないほど、痛みに悩まされた。
ナースコールを頻繁に押す私に対して、通りかかる看護師たちは「痛いのはわかっているの。でも痛み止めを頻繁に打つわけにはいかないの。」と言った。

時間が経つのが無情なほど遅く感じた。
ようやく寝たと思ったら、痛みで起きてしまい、時計を見ると午前2時だったりした。
昼じゃないんだよなと、心の中で毒づきながら、こんなことがいつまで続くのだろうと思った。

救急病棟の看護師たちは、まるで、そこが戦場であるかのように動き回っていた。
確かに、彼女たちにとっては戦場なのかもしれない。
何しろ、自分の意思で動けない患者の異変を察知し、適切な処置をしなければならない彼女たちが、黄泉(よみ)の世界を垣間見た私には神々しく見えた。

わずか3日でICUから一般病棟へ

聖マリアンア医科大学病院

12月13日の朝、ICUにいる看護師が、突如として、私に言った。
「今日からは一般病棟に移るの。良かったわね。そこで頑張ってリハビリするのよ。」

このとき、自力で寝返りを打つことも、無論、車椅子への移乗もできなかった私は、彼女たちの言っていることが、私に向かっているのでなく、隣の人に言っているようにしか聞こえなかった。

しかし、私はベッドごと運ばれ、7階北の一般病棟に移ることになった。
担当看護師から「今日から点滴だけでなく、普通の食事ができますが、どうしますか?」と聞かれた私は、「昼食からお願いします。」と答えた。

私が寝かされているベッドは、電動リクライニングだったのだが、このときの私は、それを自分で動かすことすらできなかった。
従って、ICUにいたときと同じで、ナースコールがお友達という状態に変わりはなく、朝は食事をすることさえ億劫だったのだ。

それに、80キロを超えるデブなのが災いして、お見舞いの差し入れにオヤツは厳禁とされてしまった。

俺の年末の予定はいくつ入っていたのか?

頭を抱えるビジネスマン

年末と言えば忘年会の季節、すでにコラムで書いたものを除いても、私には、いくつか予定が入っていた。

それに、救急車で病院に搬送された日の午後にも、ABCクッキング横浜モアーズスタジオでの第2回目のレッスン予約が入っていたことは、5月1日付の「ABCクッキング横浜モアーズスタジオに行ってみた」書いたとおりだ。

このような感じだったのだが、身体の痛みを堪えながら、iPhoneを操作し、個々に連絡するのはかなり大変だった。
それに加え、今は、このように過去の記録を見ながら書けても、病床でそれを思い出すのは、とうてい無理だった。

  • 12月21日(土) 中園さんeBayチームの飲み会
  • 12月28日(土) ラバ吉(Lovers Kitchen)の忘年会
  • 12月29日(日) タンク満タンの会忘年会

ざっとこんな感じだったと思うが、ほかにも予定があるかもしれないと思った私は、Facebookのメッセージ機能を使うほか、自分のタイムラインでもこう書いた。

現在、入院しています。忘年会など予約している方、すべてキャンセルでお願いします。入院先は聖マリアンナ医科大学病院本院です。

入院中に関わっていただいたすべての方に感謝!

私が入院生活とリハビリというカテゴリーでブログを書き始めたのは、転院先の戸塚共立リハビリテーション病院にいた介護士のNさんが、「退院したら今回のことを本に書けば」と言ったことがきっかけだ。

彼女には、私が昨年の春に、轟源次郎という名で、クラウドワークス(株価:3900)を通じて、本を出したということも伝えたことがあるからだ。(2019年2月15日-ペンネーム「轟源次郎」、いよいよ念願の作家デビュー

もちろん、彼女も私が車椅子生活を余儀なくなれる状況であれば、そんなことを口にすることもなかっただろう。
退院後に契約した訪問リハビリステーション(横浜市福祉サービス協会)の理学療法士のTさん曰く、「コロナ禍収束後には、社会復帰できるよう頑張りましょう。」の状態であるからこそ、そういう軽口が叩けたに違いない。

ところで、一般的に、入院している最中に、入院中だと表立って書く人はあまりいないし、家族や親友以外に打ち明けない人も多いだろう。

しかしながら、このときの私は「遠くの親戚より近くの他人」を地でいく状態で、ICUから一般病棟に移った段階で、家族が持たせてくれたiPhoneを駆使して、友人たちに助けを乞う状態が続いたのだ。

再度書こう。
現代の神器はスマートフォン(スマホ)一択だ!

おかげさまで、今回の入院中、私は多くの友人たちの励ましをいただいた。
中には入院先にお見舞いに来られた方もおり、彼らには重ねてお礼を言いたい。

そして、今後のコラムは、単に入院生活を綴っても、読者にとってはあまり意味がないので、私に関係した医療給付の種類や請求方法、コロナ禍が並行してどうなっていったかなどを交えて書いていきたい。

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