日本人愚民化教育の成れの果て

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日本地図とビジネスマン

10月16日現在、米ニューヨーク・ウォール街の占拠を呼びかけた抗議デモ(Occupy Wall Street)が30日目を迎え、全米各地で逮捕者が出ているという。

この抗議デモは、経済の現状に対する反発から始まり、金融業界や政治エリートに対する批判を続けているもので、日本でも米国の運動に呼応して、去る15日に都内で「東京を占拠せよ(Occupy Tokyo)」としてデモ行進が行われた。

しかし、12日のWall Street Journal Japanが「東京を占拠せよ」運動は成功するか?と題して、「この運動がニューヨークで感じられるような熱気を得ようとするなら、やるべきことは多い。」と書いているように、日本で広がりを見せるような兆候は感じられなかった。

今年の春、チュニジアを発端として起こった「アラブの春」と呼ばれる民主化運動のときもそうだった。

2009年の政権交代は何だったのか、と思えるほどの政治の貧困、経済の低迷、アラブ諸国で起こった市民革命が日本で起こらないのが不思議なくらいの体たらくな状況だった。

そして、3月11日の東日本大震災、とうてい先進国とは思えないような低レベルなエスタブリッシュメントたちの対応に、よく言えば我慢強く耐え抜いている国民の姿だけが浮き彫りとなっていた。

これが他国ならば、全国的なゼネストはもとより、暴動でも起きかねない状況にもかかわらず、日本の国民は黙々と自身の仕事に邁進した。

なぜ、ここまで政府にバカにされて怒らないのだろう、というのはバブル経済崩壊後の「失われた20年」の間、外国人が摩訶不思議に感じ続けたことである。

そして、政府に反発する運動が起きたとしても、たいていの場合、散発的なもので終わり、長続きすることはほとんどなかった。

最近読んだ本で、大前研一氏の著書「『知の衰退』からいかに脱出するか?」にこういう一節があった。

「愚民政策=偏差値導入」が日本人を劇的に変えた

日本で、詰め込み教育、受験一辺倒教育、偏差値による選別教育が始まったのは、60年安保・大学紛争以後である。
いま思えば、あそこが日本にとって分水嶺だった。

日米安保が大問題であった時代、日本政府は、過激な学生運動に対して非常に強い危機感を持った。
このようなムーブメントを放置してしまうと政権転覆も起こりかねないと考えた政府は、ここから国民教育を「愚民政策」に転換した。

その象徴が「偏差値教育」である。

かなり昔のことになるが、私は当時の首相に言ったことがある。
「いまの政府は国民を騙すようなことばかりやっている。このままだと、国民は怒りを覚えて立ち上がるでしょう」と、このように進言したのだが、首相は私にこう言った。

「大前さん、わが国は愚民政策を施しているから大丈夫だよ」

まさかと耳を疑ったが、これは事実である。
当時の日本の政治指導者と役人たちは、学生たちが政府にたてつくことがないように愚民政策をとっていると確かに認識していたのだ。

日本政府は安保闘争のようなことが二度と起こらないように、若者たちがけっしてアメリカに刃向かわないように、そして、体制が転覆する事態が起こらないようにと、愚民政策を実施した。

これは、天安門事件後の中国と同じだ。
政府にとって危ないことを考えない、天下国家を論じない、そういう小市民をたくさんつくるという政策である。

その象徴が1970年代半ばに導入された「偏差値制度」なのだ。
そして・・・この政策は予想以上の効果を上げ、長年の愚民政策によって、その後の日本人はみごとに”考えない国民”になってしまったのである。
しかし、たかが「偏差値」1つ導入しただけで、国民性まで変わるようなことが本当にあるのだろうか?

大前氏の偏差値云々の話は置いておいて、時の首相の言葉である「大前さん、わが国は愚民政策を施しているから大丈夫だよ」に、私は正直なところショックを受けた。(参考:駿台予備学校のあゆみ-近代化-新体制のもとで

彼は、日本人愚民化教育で得をしたのは誰かということで、官僚(政府)・外国人投資家・投資ファンドの3つを挙げているが、一見得をしている官僚(政府)でさえ、低IQ社会の中の勝者に過ぎないがゆえ、外国から食い物にされている、と論じている。

つまり、日本が世界のATMとしてぼられ続け、21世紀の経済の潮流から置いてきぼりを食っているのは、今から40年以上も前の教育政策が原因だったというわけだ。

そして、なぜ国民が政府にバカにされ続けても怒らないのか、ということもこれで説明がつくというものだ。

高度成長期からバブル経済の昭和のよき時代、日本のエスタブリッシュメントたちは従順なる国民を育て上げることに心血を注いだ。
それは、20世紀後半を通じて体制側にとっては好都合だったが、21世紀に入ると国際社会では全く通用しない人材を輩出する結果となった。

私に言わせれば、その最たるものが「草食系男子」などと揶揄されるオトコたちだと思っている。

もはや、こうなると日本が変わるということは期待できない。
私がエッセイとして書いた「未来へのシナリオ」、そこに描かれているピーター・タスカの「長いさよなら」が現実化するのも時間の問題となろう。

ならば自分だけでも変わるしかないのだ。

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