「郵政解散」などと言われ、小泉首相得意のパフォーマンスの真骨頂が出たような衆議院解散による総選挙が来る9月11日に行なわれる。
「改革の続行か否か」、とか「郵政民営化の是非」なんてことは他のブログや掲示板でいくらでも議論されていることだから私はここでは書かない。
私は日本のマスメディアの論調というのはほとんど批判的な立場でしか見ない。
日本通の外国人が書いた記事の方が信用に値することが多いからだ。
一番多いのは、フォーブス(Forbes)東京支局長のベンジャミン・フルフォード(Benjamin Fulford)や、ピーター・タスカ(Peter Tasker)の著書や記事からの引用だ。
そのベンジャミン・フルフォード(Benjamin Fulford)も読者から言われていると書いているが、彼が、いわゆる「オヤジ週刊誌」の記事を引用することが多く見られる。
なぜかと言えば、マスメディアは週刊誌に比べて権力の脅しに簡単に屈するので信用できないからだと言う。
権力者が自分たちにとって痛いところを突かれれば、いとも簡単に「取材禁止」などと言えるのも記者クラブという閉鎖的な規制グループの弊害にほかならない。
この自民党からの朝日新聞に対する「取材禁止」という暴挙が意味するのは、例のNHKの番組改変問題の一件が権力側の逆鱗に触れたということらしい。(取材禁止中の朝日、自民に色目か?)
これに関し、立花隆氏が言う。
第34回-NHK番組改変の取材メモ流出で問われる報道の使命と政治介入 (立花隆のメディアソシオ-ポリティクス)
毎日新聞(8月2日)の報道によると、このニュース漏洩に自民党は大いに怒った。
これまでの政治家側の主張がみんなウソっぱちだったとわかった上、政治家がNHKに対して圧力をかけるのが日常茶飯事になっているということがバレてしまったことに怒ったらしい。「月刊現代」にテープ(記録)を流したのは朝日新聞の内部者にちがいあるまいということで、今後、自民党役員は朝日新聞の取材を拒否するということを、役員会で機関決定したのだという。
これはもう唖然とする対応という以外ない。このような恥ずべき事態(公共放送への自民党中枢幹部の圧力の日常性)がバレたら、まずは、形ばかりではあっても、申し訳ないという表情をしてみせるのが当然なのに、居丈高に今後の朝日新聞に対する取材拒否を叫ぶとは何事だろう。本末転倒というしかない。
さらに唖然とするのは、自民党から取材拒否を通告された朝日新聞側でも、政治が大きく動こうとしているこの時期に自民党を取材できなくなったら、新聞の死活にかかわる事態ということで、社内でニュース漏洩者をいち早くつきとめて、そのクビをさし出すことで自民党と手打ちをはかろうという動きが政治部を中心として着々と進行中という。
自民党恐さにそんな岡っ引きまがいのことをしたら、それこそ朝日新聞の報道機関としての“政治生命”にかかわることになるということが、朝日の幹部にはわからないのだろうか。
私は朝日新聞の論調に厳しい目で見ることが多いが、これに関してだけはReimei氏同様、「良識ある記者よ頑張れ」とエールを送っていた。
しかしながら上の記事を見る限り、現場の記者の努力は腰抜けの上層部によって葬り去られたようだ。
今回の選挙は小泉の暴政を批判する雰囲気はほとんどなく、いつのまにか「行革の推進派」対「守旧派」という構図にすりかわっている。
本来、そういう雰囲気に警鐘を鳴らすべきマスメディアは小泉の使い走りに成り下がっている。
そして、旧来より磨きのかかる「ワンフレーズ・ポリティクス」が自分で考えることを放棄した国民の頭に心地よい響きをもたらしている。
私に言わせれば、日本はすでに独裁国家への道を歩み始めている。
権力が批判者に対し、脅しをかけて黙らせている構図は上記の朝日新聞だけではない。
個人のウェブサイトやブログ、掲示板は権力を批判する道具として有効に機能しているが、権力側は萎縮効果を狙ったメディア操作を行なうことがあり、それの最たるものが「イラク人質家族批判騒動」であり、あれによって反体制的な意見を公の場で言うことの抑制が図られ、その前には「西宮冷蔵」の内部告発(雪印食品による牛肉偽装の告発)に関して、元社長が苦難の道を歩んでいることが、不正の告発者は何ら保護されないというメッセージを国民に送ることにもなっている。
もはや日本の国民は、言論の自由のないアラブ諸国の人が反米を叫ぶことや、中国人が反日を叫ぶことの愚かしさをあれこれ言えぬ状況になっている。
さしずめ、日本人が誰を批判するかと言えば、ずばり役所だ。
政治家(トップ)はその失政の責任のすべてを巧みに部下(役人)に付け替えようとする、というのは「はめられた公務員」の著者、中野雅至氏だ。
私に言わせれば、同じような構図は、不祥事を起こした企業にも見られる。
そして、権力者が彼らを非難をしてもいいというメッセージをメディアを通じて与えたとき、国民は日頃のウサ晴らしを含めて彼らを攻撃するという図式は随所に見られる。
少し前ならJR西日本が総スカンを食らったのはいい例だ。
自分らは普段、自らが属する組織の批判ができない分、他人のところでこういうことがあると、所属する人間の人格と権利のすべてを否定するかのような非難をし、相手方の一切の弁明と反論を拒否する。
そして、その騒ぎの中で真に悪い奴は何ら被害を被ることなく生き続けていくのだ。
今度の選挙で、国民の中には小泉を勝たせ、彼の悲願である郵政民営化を成就することが、日本の改革の第一歩だと信じている人は多い。
しかし、郵政民営化のスケジュールの中で、少なくとも政府保有の株式の市場への売却の道筋が示されていなければ、民営化は単なる改革のカモフラージュに過ぎない。
株式会社の生命線は株主構成であり、それが100%政府所有であれば、今とほとんど変わらないからだ。
逆に民間会社の収益第一路線が裏目に出れば、ノルマの達成のために、老人などに悪質な金融商品を売ったりする社員が出て社会問題になることもありうるのだ。
そして彼らイカサマ師の最たるところは、不正を取り締まり、市場の公正さを確保するための努力を一切しないし、口にも出さないことだ。
国民だってバカじゃないからイカサマ師も形だけの取り締まり機関を作り、法律の整備はする。
しかし、それが実質的に機能することは決してない。
単に、そこに配属された公務員の怠慢であると言われてすべてが終りになるだけだ。
事実、小泉改革の一つと言われる特殊法人を独立行政法人としたのものがカモフラージュのいい例だ。
独立行政法人のすべてに適用される原則法規である独立行政法人通則法というのがあるが、これを見ただけで何も独立なんかしていないことが一発でわかる。(故石井紘基衆議院議員が命を賭けた官僚総支配体制の打破)
法律でここまであからさまに官僚の統制が謳われているのに、政治家は何もせず、メディアも何も批判しないのは無知・無責任以外の何物でもない。
これで、郵政民営化だけ命を賭けるとか、民営化反対派候補への刺客を出すだとか、私に言わせればちゃんちゃらおかしい。
たった一つのことだけに目を奪われていると物事の本質は見えなくなる。
かつてナチスの暴走を止めることができなかったドイツ人のように・・・
最後に私がアムステルダムのアンネ・フランクの家(Anne Frankhuis)で買った「未来に向けての歴史の叫び(日本語版)」の中の一節を紹介したい。
「ここには、ユダヤ人虐殺のはかりしれない悲劇と、人間の生命と才能を無にする行為と、自由な人々が全体主義運動抑圧の早期行動を取らなかったことによる代償とが示されている。」(イェフーダ・レヴ)
コメント
日本から逃げ出す準備をした方がいいかもしれない。
今回の選挙結果、自民党の圧勝、民主党の惨敗に終わりました。
これほど多くの日本人が、小泉自民党の安っぽい見世物を支持するとは思いませんでした。
民主党の政策、特に日本の財政再建という緊急の課題に対する処方箋は自民党より数段上回っていたと思いますよ。
そ…….