マハティール首相の引退

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マハティール首相引退

今日の読売新聞で、今月末をもってマハティール首相が辞任することが報じられていた。

数少ない親日家である彼の功績を日本政府やマスコミはほとんど評価することはないが、彼ほど日本が失われた10年と言われた中にあって「日本よ頑張れ!」と言ってくれた人はいないと思う。

また、マレーシアがマハティールの長期政権下にあって、国民が他のイスラム諸国のように圧制・内戦・テロ・飢饉・貧困などに見舞われなかったことは大きく評価されていいはずだ。

私はイラクやアフガニスタンの再建にマレーシアの閣僚経験者(イスラム教徒の)を行かせる方が、アメリカ主導でやるより相当マシな結果が出るのではないか?と思ってるくらいだ。
私に言わせれば、マレーシアはイスラム諸国の優等生だからだ。

今後、現在の副首相が首相に就任することが決まっているようだが、今後は日本に対してマハティールほどの思い入れはないと思った方がいいだろう。

それよりも長期政権後の政情不安定化がイスラム原理主義の台頭を招く危険性の方があるかもしれない。

私は中東と違ってアジアのイスラム教徒はそれほど宗教色が強いとは感じてないが、こればかりはインドネシアの例もあるので一概には言えないだろう。

日本に限らず、東アジアのエネルギー戦略の要衝となっている「マラッカ海峡」の当事国であるマレーシアを日本政府やマスコミはそれほど重視していないが、政権の不安定化がもたらす影響はイラク戦争の比でないことを頭の片隅にでも留めておいたほうがいいかもしれない。

マハティール首相月末引退-カリスマ政権に幕 (2003.10.4 読売新聞

【シンガポール=中津幸久】マレーシアのマハティール首相(Dato’ Seri Dr. Mahathir bin Mohamad, Prime Minister of Malaysia)が今月31日に引退することが確定した。

22年の長期政権を築き、東南アジアの経済成長を象徴したマハティール氏の退陣は、東南アジア諸国連合(ASEAN)にとってカリスマ的な指導者による開発独裁の終えんを意味する。新首相にはアブドラ副首相(Dato’ Seri Abdullah bin Ahmad Badawi, Deputy Ministers)の就任が決まっているが、権力基盤の弱体化は否めず、同国の政局が不透明感を増すことも予想される。

マハティール首相は2002年6月、与党第一党の統一マレー国民組織(UMNO=The United Malays National Organisation)の年次総会で辞意を表明。
引退を疑問視する声もあったが、首相自身が先月の外遊の際、同行記者団に「10月31日で辞める。最終決定だ」と述べた。(BBC News: Mahathir sets retirement date)

国内ではマハティール礼賛ムードが高まっている。
国営ベルナマ通信(Malaysian National News Agency BERNAMA)は3日、首相あての感謝のメールを送るよう国民に呼びかけるコーナーを自社のホームページに設けた。

首相の未公開スナップ写真千点を集めた写真展も7日から始まる。首相の演説などを収録した全十巻の「マハティール百科事典」も刊行された。

首相は経済的に遅れた最大民族マレー人と経済的に進取の精神に富む華人の格差解消を目的に、マレー人を優遇する「ブミプトラ政策」や、日本などの経済発展に学ぶ「ルック・イースト政策」など、独自の政策を貫いた。

一人当たり国民総生産(GNP)は約3500ドルへと、就任当初の数字から倍増した。一方で、覇権的手法も目立った。特に、1997年のアジア通貨危機への対応をめぐる対立などから後継者と目されたアンワル副首相を解任・逮捕した際には、与党内からも反発の声が上がり、支持層の離反と、最大野党でイスラム原理主義を掲げる全マレーシア・イスラム党(PAS=Parti Islam SeMalaysia)の躍進を許した。

首相は反欧米姿勢を堅持し、ASEANのリーダーとして組織の発言力向上に貢献した。地盤沈下がいわれて久しいASEANは、強力な指導力を持つシンガポールのリー・クアンユー前首相、インドネシアのスハルト元大統領らに続き、マハティール氏も表舞台から去ることで、いかに求心力を保つか、今以上に厳しい状況に直面することが予想される。

ただ、マハティール氏の威光が直ちに消えるとは考えられない。首相は、引退後はシンガポールのリー前首相のように上級相として閣内にとどまることはせず、執筆や講演活動に従事すると表明しているが、アブドラ新首相の政治的手腕が未知数だけに、政府のご意見番として影響力を行使するものとみられる。

■ルック・イースト政策(Look East policy)

「東方を見よ」の意味で、マハティール首相が1981年の就任直後に提唱した政策。西欧に代わり日本や韓国を経済発展のモデルとし、社員一体となって企業利益を追求する日本的経営を見習うよう主張した。国産車開発にも三菱自動車工業の支援を借りた。

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