大日本ガマン帝国の偉大なる臣民たち

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1943年4月20日 市民に貯蓄奨励を進める「移動講演隊」

1943年4月20日、市民に貯蓄奨励を進める「移動講演隊」 提供:朝日新聞

2021年9月11日付のJ-Cast Newsは「日本は『安い』『貧しい』『転落する国』 厳しい評価の本が続出する背景」という記事を配信した。

言われてみれば、最近は日本の経済情勢に関して、そういった論調の記事も多くなってきているが、私は平成時代の失われた30年の間、民主主義国に生まれたという実感もなく、ただひたすら耐えることだけを強いられてきた国民の末路であると感じている。

そう、彼らは私が「大日本ガマン帝国の偉大なる臣民たち」と呼ぶサラリーマンたちである。

日本の就業者の8割を占めるサラリーマンの利益代表(候補者)はいるか

日本地図とビジネスマン

日本では仕事をしている人の中で、サラリーマン(被用者)の割合は、どのくらいあるのだろうか。

2021年(令和3年)10月29日に総務省統計局が発表した2021年9月分の労働力調査によれば、6872万人の就業者のうち、役員を除く雇用者、つまり、サラリーマンは5638万人、就業者の8割超の人が給与を柱として生活していることになっている。

一方で、来る10月31日の総選挙の有権者数は何人いるのかというと、10月22日付の日経新聞「総務省、有権者数を訂正 最大格差2.09倍変わらず」によれば、1億562万2758人となっている。
つまり、日本の有権者の過半数はサラリーマンなのだ。

それでは、小選挙区の候補者や、比例代表に名を連ねている政党の中に、サラリーマンの利益を代表してくれそうな人はいるだろうか。

与野党が選挙にあたって公約している経済政策は、どちらかと言うと経営者寄りと思うのは私だけだろうか。
それとも、10月8日付の産経新聞が報じた、「(岸田文雄)首相、分厚い中間層を生み出す 所信表明演説」というのは、サラリーマンの所得を上げるということなのだろうか。

サービス残業という名の無賃労働に耐える人々

レッドカードを出す女性

私が日本のことを「大日本ガマン帝国」と名付けたのは、まさに、多くのサラリーマンが直面するサービス残業という名の無賃労働を強いられている現実があるからだ。

皇帝は群雄割拠する各企業の経営者なのだが、本来は労働基準法第37条に違反している状況を糺すべき労働組合までがダンマリを決め、春闘の時期には、わずか数千円の賃上げを巡って経営側と交渉している。

そして、私の記憶では、ここ10数年という単位で、これを取り締まる労働基準監督官の増員や、労働基準法第119条の罰則規定を強化すべく法改正を主張する政党もほとんどないようだ。
従業員にサービス残業(無賃労働)を何時間させても、経営側の罰金が30万円以下であれば、まさにさせ放題と言えるだろう。

一方で、私が2015年11月2日付で書いたコラムは「サービス残業という名の強制労働(forced to work)は下流老人への直行便」、そして、2019年6月26日付では「老後2000万円を作るのに必要なのは勇気と電卓だ」と書き、「サービス残業代を取り戻せば誰でも2000万円を作れる」と述べた。

従業員が1人あたり「生涯で1400万円の会社への貢ぎ物」をしても経営が上向かない企業など、私に言わせれば終わっていると思うのだが、日本ではこういう会社がゾンビのように残っていて、そこにしがみつかなければならないサラリーマンが多いことが経済の停滞を招いている。

そして、そこにしがみつかなければならないサラリーマンこそが、「大日本ガマン帝国の偉大なる臣民たち」なのであり、彼らは時間外労働に対する賃金を、労働の対価でなく、経営者の恩恵と捉えているのである。

従って、彼らは時間外労働の対価の請求を主張するサラリーマンに向かってこう言う。
「何でお前だけが残業を付けるんだ。みんな付けないでガマンしているんだ。」

有給休暇の取得を遠慮する人々

驚く外国人男性

有給休暇の取得を遠慮するサラリーマンこそが「大日本ガマン帝国」の神髄だ。

2021年7月21日付の「有給を取らない日本人…なぜこんなにも『休むこと』を恐れるのか?」でも

「年次有給休暇の取得に対するためらい」に関する調査では、「ためらいを感じる」「ややためらいを感じる」が52.7%。
その理由として「みんなに迷惑がかかると感じるから」が66.8%と突出しているほか、「後で多忙になるから」が48.8%、「職場の雰囲気で取得しづらいから」が24.6%、「上司がいい顔をしないから」が12.9%、「昇格や査定に悪い影響があるから」が8.9%となっています。

とあり、まさにガマン大会の様相を呈してる。
果たして、これで「大日本ガマン帝国の臣民たち」は、人生幸せなのだろうか。

そして、彼らが日本では多数であることが、女性の活躍を根本的に封じている現実に、為政者が気づくことがあるのだろうか。
私は2006年1月9日付の「少子化も人口減も止まらない理由」でこう書いた。

日本の中央官庁や民間企業のサラリーマンは、かつて景気が良かったときでさえ有給休暇を取るのに、上司や同僚に気兼ねしてなかなか取れないと言われた。
単に有給休暇の問題かという人もいるだろうが、それが気兼ねして取れないということは、「子供の健康を理由に休暇を取るリスクがある母親」を雇う、あるいは彼女たちを仕事のローテーションに組み込むことが困難であるということを意味する。
日本の市役所や旧西欧の会社で既婚女性が働きやすいと言われるのは、有給休暇の取りやすさと決して無縁ではないのだ。

「大日本ガマン帝国」で培われた休暇を遠慮する精神は、このたびの新型コロナウイルス対策における緊急事態宣言下でも存分に威力を発揮した。
実際のところ、日本が観光立国を目指すというのはどこへやら、レジャー産業を目の敵にする政策が続出し、それに然したる反対が出なかったのは記憶に新しいところだ。

マスクは大日本ガマン帝国への忠誠の証

2020年2月14日 戸塚共立リハビリテーション病院の売店で買ったマスク

私が10月1日に職場復帰(復職)し、1週間ほど働いたとき、マスク皮膚炎に罹った。

このとき、私は「1億総病気~コロナ禍で流行るマスク皮膚炎という国民病」というコラムを書いたが、出勤することがホトホト嫌になった。
何しろ、私はマスクをするのが嫌いだし、皮膚炎になってまで仕事(労働)をしたいとは思わなかった。

この日を境に、多くの日本人がなぜ炎天下の屋外でもマスクをするのか、スポーツジムでもマスクをし、自転車に乗る時もマスクをしているのか理由が明確にわかった。

要は、マスクが病人のためのものでなく、私が入院している間に、半ば神格化されて宗教と化し、コミュニティに同調するという強い意志の現れになっていたのだ。
マスクの外の空気は穢れており、それを遮断するためのマスク、もはや、「マスクをせねば人にあらず」というところに昇華してしまったわけだ。

私が2021年9月15日付で掲載した「アフターコロナ時代は日本でもマスクを外せるか」という命題に対し、冷酷なまでのNOを突き付けられた瞬間だった。

また、10月25日付で「『感染者4万人でもマスクなしが当たり前』イギリス人の生活がコロナ前に戻りつつあるワケ」というのが報じられたとき、日本のテレビではマスク、マスクと一層拍車をかけてマスク神話を醸成していた。

大日本ガマン帝国ではマスクが忠誠のシンボルであり、いかなる事情があっても、雇われの身でマスクができないというのは解雇を意味した。
新型コロナワクチンでさえ、接種するしないの自由があるにもかかわらず、マスクはハラスメントの対象でもなかった。

そして、2021年3月1日付の産経新聞「マスク非着用で雇い止めは『違法』 KDDI子会社を提訴」ということで、マスク皮膚炎の男性のことが掲載されていたのを見たとき、私はiPhoneを握って、以前からコンタクトを取っている難病患者支援の会に電話をかけた。

気持ちが変わりました。海外腎移植の件ですが、最速のスケジュールでやっていただいて構いません。

労働でなく労道

落ち込む男性

労働でなく、労道で間違いない。

本来は、お金を稼いで自分や家族が幸せに暮らすのが仕事(労働)の目的なのに、日本では道を極めるためには無報酬でいいという価値観まで生まれている。
その労道は、苦労の道であり、大変であれば、大変であるほど日本では尊ばれる。

何で、令和の時代にアナログなんだ~と言ってはいけないのだ。
アナログな仕事であればあるほど、苦労が絶えないので、それをやり抜くことに価値があるのだ。
サラリーマン養成所たる学校の教育現場を見ていれば、DX(デジタルトランスフォーメーション)など、どこの世界のことだというのがよくわかるだろう。

それによって、利益が上がらないことなど二の次、時間内に終わらなければ、自分が未熟であるとして、無賃労働に勤しむのが大日本ガマン帝国の正しい臣民の在り方だ。

ようやく結論に辿り着けそうだ。
なぜ、平成の30年間に日本は貧しくなったのか。
稼ぐことでなく、道を極めることに情熱を注ぎ続けたからだ。

そして、これからも長時間マスクをし続けることによる新たな病気や、集中力を欠いたことによる事故が起ころうと、それは個人が弛んでいるとして片づけられることだろう。
それが嵩じて日本企業の生産効率が落ち続けても、鵜の目鷹の目で別の理由付けがされるに違いない。

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