去る2月27日、私は埼玉県熊谷市にある妻沼聖天山歓喜院に行ってきた。
埼玉県熊谷市と言えば、夏になると全国でも有名になるほど暑くなるので、寺院めぐりをするなら春か秋がいいかと思い、好天に恵まれたこともあって、この日に行くことに決めた。
妻沼聖天山(めぬましょうでんざん)に行くにはJR熊谷駅か、東武鉄道の太田駅からバス(朝日自動車)に乗るのだが、横浜-熊谷間(93.5㎞)、あるいは浅草-太田間(94.7㎞)の距離は100キロに満たないので、障害者割引を適用させるために、少し遠方までのチケットを買うことにした。
妻沼聖天山(めぬましょうでんざん)は、妻沼聖天前というバス停を下りるとすぐのところにある。
ここに着いたのは、ちょうどランチタイムの時間だったのだが、熊谷駅周辺で食事をせずに、妻沼まで来てしまったのが失敗だった。
この日は月曜日で、聖天山周辺のレストランは休業日になっていたからだ。
境内は月曜日ということで閑散としていたが、結婚式用の衣装を着たカップルが、写真撮りをしていたのが微笑ましかった。
一般の神社と同じように参拝を終えた私は、700円(障害者割引なし)を払って、本殿を拝観する。
タイミングが合えば、ボランティアガイド(無料)による案内があったのだが、私が入場した時間は音声によるガイドが行われていた。
本殿に入場したときにもらったガイドにはこう書かれている。
妻沼聖天山(めぬましょうでんざん)は斎藤別当実盛(さねもり)公が、当地の庄司として、祖先伝来のご本尊聖天さまを治承三年(1179年)にお祀りしたのに創まる。
実盛公は平家物語、源平盛衰記や謡曲実盛、歌舞伎実盛物語などに、武勇に勝れ、義理人情に厚い人柄が称えられている。次いで実盛公の次男斎藤六実長が出家して阿請房良応となり、建久八年(1197年)に本坊の歓喜院を開創した。
御本尊聖天さまは、正しくは大聖歓喜天(だいしょうかんぎてん)と称せられ、弘法大師が唐より密教とともに仏法の守護神として請来されたから、日本でも祀られ、福運厄除の神として信仰されている。
妻沼聖天さまの御本尊は由緒の正しさでは日本最古の聖天尊像として知られ、特に縁結びの霊験あらたかで、夫婦の緑はもちろんのこと、家内安全・商売繁盛・厄除け開運・交通安全・学業進学などのあらゆる良縁を結んでいただけるので、祈願を篭める人々が後を絶たない。
御本尊は錫杖の中央に祀られているので御正体錫杖頭(みしょうたいしゃくしようとう)として国指定重要文化財であるが、秘仏である。
外壁は創建当初の華麗な色彩が復元された。
総工費13億5千万円(内本体工事は11億6100万円)で10億が国・県・市の補助金、3億5千万円がご信者の寄付。寄附勧進にお応えいただいた各位に深く感謝申し上げます。
残念ながら病気平癒のご利益は特記されていなかったが、厄除け開運ということで、ご利益があることを信じよう。(笑)
本殿の見学を終えた私は、往路とは逆に東武鉄道の太田駅から帰ることにした。
ところが、熊谷駅周辺と違って、こちらは食事をするところがあまりなかったので、失敗したな~と思ったが、一軒だけあったカフェで軽食を取ることにした。
亡父の親戚が住んでいる群馬県太田市、父が亡くなった後は疎遠になってしまった土地だが、かつての面影は全くの残っていなかった。
まあ、30年以上経てば当たり前と言えば当たり前なのだが、あまりにも寂しい駅前通りを見て、地方都市の衰退を感じざるを得なかった。
浅草に到着したのは午後5時半、平日ということで帰宅ラッシュに巻き込まれるかと思ったが、浅草からだと京浜急行の特急列車も余裕で座ることができた。
帰りはJRにしないで良かったかなと、このときだけは思った。
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