去る4月20日に、フジヤマツーリストの野澤さんご夫妻に誘われて、銚子電鉄のイベント、「ゴダイゴ浅野孝巳&BARAKA依知川伸一 あさいち超☆ライブ電車」に参加してきた。
これは、電車の中でプロのミュージシャンがライブをやるという前代未聞の試みだったからだ。
私たちの世代だと、「銀河鉄道 999」を歌ったゴダイゴはかなり有名なところだが、そこのギタリストである浅野孝已さんと、BARAKAの依知川伸一さんがコラボしたのが「あさいち」というバンドのようだ。
依知川さんは、ご自身がやっている書家のウェブサイト「風人堂」のコラムで、「浅野孝巳の『あさ』と依知川伸一の『いち』から『あさいち』と命名、『朝市』『朝一』に通じ、常に新鮮な音楽を届けたいという思いを込めています。」と書いている。
そして、当日、いつものフジヤマツーリストのツアーと違って、新宿からバスに乗った瞬間から感じるアウェー感、それもそうだ、何と言っても、今回のツアーはBARAKAの依知川さんの根強いファンのためのものだったからだ。
単に、鉄ちゃんのイベントツアーだと思って参加した私とはオーラが違ったのだ。(笑)
午後3時55分、犬吠駅に銚子電鉄のイベント電車が入ってくる。
このイベント電車は、犬吠駅と銚子駅を往復する40分間に、「あさいち」のライブ演奏が聴けるという彼らのファンには垂涎のイベントだ。
そして、犬吠駅を出発してすぐのオープニングの演奏が、ゴダイゴの大ヒット曲「銀河鉄道 999」、その後も、ザ・モンキーズ(The Monkees)のデイ・ドリーム・ビリーバー(Daydream Believer)や、ジョン・レノン(John Lennon)のイマジン(Imagine)など、私たちにとっては懐かしい曲の数々、動画もバッチリ収めたのだが、残念ながらここで公開できるのは写真だけなので、彼らのライブをお聴きになりたい方は現地に行くといいだろう。
彼らのライブは、直に聴くのが初めての私でも良かったと思うので、今後も機会があればコンサートなどに行ってみたいと思う。
銚子電鉄のイベントが終わった後は、夕食までの合間を縫って、依知川さんお勧めのサンセットエリアの銚子マリーナへ寄ってみる。
上の写真をフェイスブックで上げたら、結構好評だったので、ブログにも上げてみようと思う。(笑)
銚子マリーナで素敵なサンセットを見た後は、銚子市内の名店「一山いけす」で依知川さんのバースデーパーティだ。
彼と間近で一緒に食事をして、同じ時間を楽しめるというのはファンにとってはプライスレスなものだと思う。
この店は、銚子市内では接待用で使われるとも言われるお店なのだが、メインメニューは、猟師町ならではの新鮮な魚、やはり刺身と日本酒の組み合わせが一番だろう。
いよいよ依知川さんの誕生祝い、4月20日が彼の誕生日だったのだが、こんな素敵なバースデーケーキを作ってくるとは、さすがは、おもてなしのフジヤマツーリストだ。
女性だったら、感激のあまり涙する人もいるのではなかろうか。
依知川さんとのツーショット!(笑)
もちろん、ファンの方々も入れ替わり立ち代り、彼との写真を撮ってもらっていたけど、きっといい記念になることだろう。
ライブに居合わせることはあっても、こうした半ば私的なイベントに居合わせるチャンスはそうそうないと思うからだ。
ところで、私たちが手にしている楯は何だとお思いになるだろうか。
実は、これは日本郵便がやっている「オリジナル切手作成サービス」というもので作った切手で、依知川さんの姿が写し込んであるものなのだ。
実のところ、私たちは、このデザイン切手と、官製ハガキを往路のバスの車内でもらっていて、犬吠埼灯台の前にある白いポストから手紙を出せば「幸せを呼ぶ」「願いが叶う」「恋愛が成就する」などと言われているもので、ファンの方が実際に投函してみたらしい。
果たして、彼女たちの願いは叶うのだろうか。
こんな感じで、翌日の21日の観光イベントもお付き合いいただいた依知川さん、絶好のファンサービスデイになったのではなかろうか。
とりあえず、いろいろご手配をいただいた皆様に感謝するとともに、今後も機会があれば、BARAKAのライブに行ってみたいと思う。
ちなみに、第二回目の銚子電鉄のイベント電車は、7月13日(土曜日)、15日が海の日の祝日で3連休になるので、遠方の人も来やすいのではないだろうか。
何と言っても今回のツアーでも札幌から来られた方がいたので、ファンの方というのは凄いなと思う。
もし、7月13日のイベント電車に乗るツアーに参加したいという方は、フジヤマツーリストに問い合わせてみるといいだろう。
ゴダイゴ浅野孝已さん死去、タケカワやミッキー沈痛(2020年5月12日 日刊スポーツ)
ゴダイゴのギター、浅野孝已(あさの・たかみ)さんが亡くなったことが12日、関係者への取材で分かった。68歳だった。
この日午前10時ごろ、都内の自宅で心肺停止の状態で家族に見つかり、救急搬送されたものの、死亡が確認されたという。
関係者によると、浅野さんは昨年11月に東京・中野サンプラザや上海での公演にも出演していた。
10年前に、大腸がんを患うもその後完治していた。
今年3月末には膠原(こうげん)病を患い入院していたが、先月20日に退院。
同月下旬には、関係者やタケカワユキヒデ(67)らとも電話で元気にやりとりしていたといい、今月9日にもフェイスブックを更新し、新型コロナウイルスの収束を願う投稿をしていた。浅野さんは16歳の時にプロギタリストとして活動をはじめ、1975年にゴダイゴに加入し、ギターやボーカルとして活躍した。
1985年のゴダイゴの一時活動停止後は、プロデュース業やゲーム音楽の作曲など幅広く活動し、1995年には岡本真夜(46)のデビュー曲「TOMORROW」のプロデュースも担当した。タケカワは公式ホームページで「僕のどんな曲にもすぐにギターを弾いて合わせてくれるオールマイティーなギタリストで、愉快な仲間だった」。
ミッキー吉野(68)はツイッターで「悲しすぎます。今は、言葉がでません。涙しかでません」と盟友の死に、ショックを隠せない様子だった。
コメント