私が今読んでいる本に「働かないって、ワクワクしない?(アーニー・J・ゼリンスキー/Ernie J Zelinski著、三橋由希子訳)」という本がある。
原著は「The Joy of Not Working: A Book for the Retired, Unemployed and Overworked(働かないことの喜び:引退した人、無職の人、働き過ぎの人のための本)」という題名で、趣旨は働かないで楽に暮らそうということではなく、自由時間をいかに充実させるか、ということが書かれている。
この本の日本語訳が最初に出版されたのは2003年、米国のITバブルが華やかな1990年代を舞台に書かれているので、時代背景は今とは若干異なることがあるかもしれないが、米国のサラリーマンだけでなく、日本のサラリーマンは是非とも夫婦で読んだ方がいい書籍の一つだ。
私がこの本を知るきっかけは、2013年3月26日付の梅屋敷商店街のランダム・ウォーカー(インデックス投資実践記)のコラム「私がいちばん参考になった絶版早期リタイア本が復刊!」で紹介されていたことだ。
そこで彼は「早期リタイアを志向する方々に、ぜひ読んでみていただきたい本です。」と書いていたので、早期リタイア志向の私は是非読まなくては、と思ってさっそく購入したのだ。(笑)
しかし、読み進めていくうちに、これは日本のサラリーマンは年齢問わず、全員読まないとならないのではないか、と思い始めてきた。
なぜか。
日本の熟年世代、特に引退した大半の男性たちの生活が死んだようになる、場合によっては妻から三行半を突きつけられる理由がわかるからだ。
また、私が見た限りでも、国内や海外の観光地で見かける団体ツアーでも、元気なのは女性たちで、男性は妻に付いていくだけというグループは少なくない。
様々なアンケートでも定年退職を控えた男性サラリーマンは、引退後に妻と旅行へ行きたいと思っている人が多いが、妻は夫とそれほど行きたいと思っていない、そのギャップはどこから来るのかが理解できるのだ。
簡単に言うと、仕事中毒(これは日本人だけでなく米国人の病気でもあるようだ)になったサラリ-マンは話題に乏しく退屈だからだ。
自由時間の達人となった妻と、何のトレーニングもされていない夫のギャップは取り返しがつかないほどに大きい。
仕事ではプロを自認する夫が、自由時間の使い方に関しては幼児並みだからだ。
本当の幼児なら母が優しくするだろうが、自由時間の幼児に対しては妻は放置し、最悪の場合、夫に三行半を突きつけることになる。
アーニーが書く「多くの人々が自由時間を受身で過ごし、受動的な活動と能動的な活動のバランスが取れていない。自ら何も活動しない人々は、本当に生きているとは言えない。かといって死んでいるわけでもない。その中間、そう、ちょうどゾンビのような存在だ。」というのは、まさに日本の大半のサラリーマンの休日そのものではなかろうか。
そうならないために、アーニーが勧めているのは、自由時間の達人になることだ。
自由時間の達人とは、自由時間を謳歌し、人生を楽しめる人という意味だ。
アーニーは35歳になったらトレーニングを始めた方がいいと勧めている。
また、現役時代に実行していないことを、定年退職したらやってみたいなどということは、私に言わせれば実現不能な戯言だ。
それに、現役時代に自由時間を生かしていろいろなことにトライするのは自分の可能性を切り拓くことでもあり、人生のリスクヘッジにさえなることがある。
私が投資をやっていることによって早期リタイアの道が切り拓かれたことをどう思うかはあなた次第だ。
彼は、自由時間における能動的な活動と受動的な活動を次のように挙げ、能動的な活動は満足感と達成感を得ることに繋がり、自由時間を質を高めることになると言う。
私はそれゆけ個人旅同好会やワールドインベスターズのオフ会に参加してみて、能動的な活動をしている人と話していることがどれだけ楽しいかを実感している。
そして、能動的な活動と受動的な活動のバランスを取ることが必要で、自由時間に活動的な人は、肉体的にも精神的にも健康的な人が多いという調査もあると書いている。
私が「初心者のための外貨投資入門」というコラムで、「人生を前向きに生きている熟年は憎らしいほど元気なものだ。世界を旅する欧米人の熟年夫婦を見てみればいい。彼らがいい見本だ。」と書いたのはまさにこのことだ。
それに、先日参加したロングステイセミナーで、ロングステイにおける不安要因の永年(!?)第一位が現地の医療状況にもかかわらず、経験者アンケートで何と3分の2に当たる62.6%の人が医者いらずだったのだ。
この自由時間の達人となるために見習わないといけないのはヨーロッパ人の休暇スタイルだ。
彼らは若い頃から自由時間の達人となるようなトレーニングを自然にしているように見える。
例えば、私は海外のビーチリゾートへ行くことが多いが、ヨーロッパ人がそこで何をしているか。
本を読み、絵葉書を書き、時には日記だろうか書き物をしている。
日本人の多くは、ビーチでごろ寝をするだけでは飽きてしまうだろうが、彼らは何日もそうやっていることができる。
私も途中から彼らの真似をしてみることにしたら、意外に飽きることがない。
本を読むのに疲れると、ビールを飲み、海に入り、ビキニの女の子の鑑賞(!?)に出かける。
それに慣れると、1週間単位で海外旅行をするときは、旅の合間にそういう時間を取らないと気がすまなくなっていたのだ。
そう、別にビーチで何をするわけでもないが、旅行記の下書きをしているだけでもいいし、ブログの材料を見つけたら、その構想を練ることも楽しくなってきたのだ。
能動的な活動
- 創作
- 読書
- エクササイズ
- 公園を散歩する
- 絵を描く
- 音楽を演奏する
- ダンス
- 講座に参加する
受動的な活動
- テレビを見る
- 酔っ払うかドラッグでぼんやりする
- 食べ物をむさぼり食う
- ドライブに行く
- ショッピング
- 金を使う
- ギャンブル
- スポーツ観戦
アーニーが受動的な活動の中で最も避けるべきと言っているのがテレビを見ることだ。
彼は、テレビの前の活動を満足度の高いものにする方法として、コンセントが抜かれていることを確認し、テレビの前でもっと価値のある活動を行うこと、と皮肉っている。
実際、私は休日にごろ寝をしながらテレビを付け放しにしている人に、知性や魅力を感じることはない。
もちろん、私がオフ会に参加してテレビ番組やタレントのことが話題の中心になったことは皆無に等しい。
ところで、日本では高度成長期以降、バブル崩壊まで「仕事が趣味です」というのがサラリーマンのステータスみたいに思われていた節があるが、実際のところは「会社ムラから生還せよ」の著者、設楽清嗣氏が言うように、会社人間は知性を捨て、個人の趣味さえ会社に捧げてきたため、退職で肩書きが取れて一人の個人になってしまうと、何も残らないようになってしまった。
アーニーはもっと手厳しく、仕事中毒の人は、決して生産性が高くなく、実は仕事ができないと書いている。
彼の言う有能人間と仕事中毒の定義は次のとおりだ。
有能人間
- 規定時間働く
- 明確な日標がある-日標に向かって働く
- できるだけ他者に仕事を委ねる
- 仕事以外に多くの興味がある
- 休暇を取って楽しむ
- 職場の外で培った深い友情
- 仕事についての話は最小限
- 「ぼうっとする」ことを楽しめる
- 人生は楽しいものだと感じている
仕事中毒
- 長時間働く
- 明確な日標がない-仕事のための仕事
- 他者に仕事を委ねられない
- 仕事以外に興味がない
- 休暇を取らずに働く
- 職場で培った浅い友情
- いつも仕事について話す
- いつも何かで忙しい
- 人生は因難だと感じている
2013年2月27日付のChikirinの日記は、「いつまで働くの、みんな・・・?」というコラムを掲載しているが、「ちきりん的にはそんな長く働く人生ってどうよ?ってことのほうがゾッとするんだよね。今50歳の人は、この法律って本当にうれしいの?」「まっ、あたしには全く関係ないんだけど、40歳からまだ25年(下手したら30年!)も働くなんて、想像しただけでぞっとします。」と書いている。
私も全く同じ考えなのだが、これは自由を謳歌している(したいと思っている)人の視点から書いた場合であって、今の熟年妻の多くは、旦那を65歳まで会社に閉じ込めておいてくれることを法制化したことは万々歳、という人が少なくないように思えるからだ。
会社では仲間に囲まれ、充実しているように見えるかもしれないが、「3連休などあってもすることがない」などと思っている人は、熟年退屈男、妻からの三行半は時間の問題だと認識した方がいい。
仮にそういう人が宝くじに当たって会社を辞めたとしたら人生は怖ろしく空しいものになるだろう。
アーニーは、「あなたを忙しくさせるものが仕事と人間関係(結婚など)だけの場合、仕事を失うと、あなたの人生は小さく狭められるだろう。仕事がなければ、あなたを活動的にさせるものは人間関係だけに限られてしまう。」と書いている。
「あなたを忙しくさせるものが仕事と人間関係(結婚など)だけの場合」という人間関係が、今の会社の仲間だけだったとしたら、定年退職後の人生がどうなるか考えた方がいいだろう。
そんな人生を送らないようにするためにも、今から自由時間の達人になるためのトレーニングを開始しようではないか。
アーニーは言う。
「週末や引退後の自由時間の管理は、簡単にできると考えられている。これは、とんでもない思い違いだ。私たちは一生懸命働き、働かないことに罪悪感を感じるように条件づけられている。
多くの人々が自由時間を恐れている。でなければ、どうやって楽しむのかがわからない。これ以上の自由時間はいらないと言う人さえいる。彼らは、忙しく何かをすることにしか意味と満足を見出せないのだ。」
自由時間の達人になることが簡単にできると思ってはいけないことがお分かりいただけただろうか。
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