remember the 平成時代のスキーツアー

この記事は約5分で読めます。

札沼線石狩月形駅

私の旅行記は平成時代から個人ウェブ(カルロス・ハッサンの平成旅日記)で発信し続けてきたのだが、そのほとんどは海外旅行記であり、国内旅行に関しては特筆すべきときだけブログなどで発信してきた。

その総まとめとも言える記事が、2019年6月5日付の「平成の海外旅を支えてくれたエアーリンクトラベル」であり、2022年2月28日付の「ニッポン全県制覇への道」である。

ところが、新年が明けてから自室を整理していたら、過去に行ったスキーツアーのことを纏めたメモが出てきたので、ここで披露したいと思う。

まあ、スキー場で写真を撮ったこともあったけど、今のようにスマホもインターネットもなかった時代のことゆえ、アルバムに貼った写真が何枚あったかな~(苦笑)

バブル時代のスキーと言えば、原田知世主演の「私をスキーに連れてって」を抜きには語れないだろう。

空前の好景気の中、シーズンの週末になると、若者たちは夜行バスやマイカーに乗ってスキー場に繰り出し、長蛇のリフト待ちをものともせずに遊びつくしたものだった。
そのうちの一人が私だったわけであるが・・・

また、スキーバスに対抗して、スキー専用列車のシュプール号が各地に向けて運行され、それを組み込んだツアーも数多く売り出された。

当時のスキーバスは、今の大型バスとは異なり、シートピッチが狭く、座席のリクライニングがしづらかったので、お世辞にも快適とは言い難いものだった。
それゆえ、特急型車両で簡易リクライニングもできたシュプール号は、画期的な移動手段になったのだ。

シーズン 回次 スキー場 都道府県
1987年(昭和62年) 1 斑尾高原 長野県
1988年(昭和63年) 2 万座温泉(1987年12月) 群馬県
  3 尾瀬戸倉 群馬県
  4 妙高杉ノ原・国際 新潟県
1989年(平成元年) 5 戸狩 長野県
  6 菅平 長野県
  7 岩原 新潟県
  8 かぐら・田代・みつまた 新潟県
1990年(平成2年) 9 かぐら・田代・みつまた 新潟県
  10 妙高赤倉・新赤倉 新潟県
  11 国設猪苗代 福島県
  12 石打丸山 新潟県
  13 舞子高原後楽園 新潟県
1991年(平成3年) 14 妙高杉ノ原・国際 新潟県
  15 岩岳 長野県
  16 五竜とおみ 長野県
  17 尾瀬岩鞍 群馬県
  18 川場 群馬県
  19 志賀高原 長野県
  20 上越国際 新潟県
  21 かぐら・田代・みつまた(4月) 群馬県
1992年(平成4年) 22 ニセコ国際ひらふ 北海道
  23 野沢温泉 長野県
  24 裏磐梯猫魔 福島県
  25 中里 新潟県
  26 富士天神山 山梨県
  27 タングラムスキーサーカス 長野県
  28 かぐら・田代・みつまた 群馬県
1993年(平成5年) 29 妙高赤倉・新赤倉 新潟県
  30 草津 群馬県
  31 蔵王 山形県
  32 札幌国際 北海道
  33 ルスツ 北海道
  34 奥只見丸山 新潟県
1994年(平成6年) 35 志賀高原 長野県
  36 富良野 北海道
  37 大鰐温泉 青森県
1995年(平成7年) 38 糠平(1994年12月) 北海道
  39 蔵王 山形県
  40 パルコール嬬恋 群馬県
  41 上越国際 新潟県
  42 ミナミ 新潟県
1996年(平成8年) 43 キロロ(1995年12月) 北海道
  44 朝里川(1995年12月) 北海道
  45 栗子国際(2016年より長期休業中) 山形県
  46 米沢 山形県
  47 上越国際 新潟県
  48 ニセコ国際ひらふ 北海道
  49 リステルスキーファンタジア 福島県
  50 沼尻 福島県

ここまでが、大学卒業後10年間で行ったスキーツアーで、メンバーは職場の同期の友人か、地元の海外旅行仲間だったのだが、21世紀になって、スキー、スノーボード人口の減少の割には残っているリゾートが多いと感じた。

ニセコ国際ひらふスキー場

今や、日本のスキーリゾートは、若者よりも往年のスキーヤーであるシニア世代と、インバウンドの外国人が支えていると言われているが、私自身は、ここ10年以上もスキー場には行っていないし、負傷事故の後遺症で、ドクターストップがかかっており、これからも行く機会がないのが残念である。

シーゾン 回次 スキー場 都道府県
1997年(平成9年) 51 サンアルピナ 長野県
  52 裏磐梯猫魔 福島県
1999年(平成10年) 53 ルスツ(1998年12月) 北海道
2000年(平成11年) 54 マウントレースイ(1999年12月) 北海道
    ニセコ国際ひらふ 北海道
2004年(平成15年) 55 志賀高原 長野県

スキーが上達するにつれて現地での記念写真を残すようになっていたので、おそらくは2004年が最終シーズンではなかったと思う。

当初はスキーセットも自前で用意したが、30歳を超えたあたりで、すべてをレンタルするようになり、スキーをしに行くというより、温泉に行くといった色合いが濃くなり始めた。

まあ、こんな感じだったのだが、50回を超える回数のスキーツアーをこなしたとは我ながら大したものだと思う。

スキーに行っていたピーク時には海外(カナダかオーストリア)とか考えたこともあったけど、結局はビーチの方に矛先が向かってしまったので、海外スキーツアーは幻に終わってしまった。

まあ、上述したように、スキーとスノーボードは私にとって禁忌なので、行くこともないんだけどね。

コメント

  1. とんび より:

    カルロスさんがスキーしていらっしゃったとはびっくりしました。
    カルロスさんの行き先は新潟や群馬、福島当たりが多いようで、あまり重なってません。
    新潟でも妙高だけは何度か行きましたが。
    一番よく行ったのは志賀高原ですが、意外と志賀はいらっしゃってないと思いました。
    自分の場合は80年代が中心で、平成も後半になるとやめてしまいました。
    冬や春も海外旅行するようになったのが理由です。
    カルロスさんより数年早くはじめて早く終わった感じ。
    私をスキーにつれてっては大好きな映画です。機内で見られたときは大喜びでした。
    http://tombi00.sblo.jp/archives/20191204-1.html

    • こんにちは
      スキーは20代、30代の頃は良く行っていました。
      ウィンタースポーツの中では好きなものの一つでしたから
      とんびさんも若いころは行かれていたんですね。

タイトルとURLをコピーしました