去る6月20日、世田谷区成城にある砧区民会館ホールで開催された「映画『東京オリンピック』上映会」に行ってみた。
当時のオリンピックの模様が見られるという以外に、当時の東京がどんな街であったかを垣間見れるかもしれないと思ったからだ。
まずは保坂展人世田谷区長の挨拶、今回の上映会に先立って、当時の聖火ランナーの方も紹介されていた。
当時20代だった方も、今や70代か80代、さすがに元運動選手だとお元気でいらっしゃる。
そして、いよいよ上映会の始まりだ。ちなみに、この映画は1965年(昭和40年)3月20日の公開、後に英語版やDVD版もでき、」日本国内で12億2321万円の配給収入を記録したという。
1964年(昭和39年)10月10日の国立競技場での開会式、日本選手団の行進、今は、日本で開催される国際スポーツ大会のアナウンスは二ヶ国語が常識となっているようだが、このときは、日本語オンリー、他国の開催でも自国語だけだったのだろうか。
ちなみに、この開会式の日が1966年(昭和41年)から1999年(平成11年)まで体育の日として祝日となっていた。
体育の日は、2000年(平成12年)からは10月の第二月曜日に移行、2020年(令和2年)からスポーツの日に改称されることになっている。
開会式で94カ国の出場国が勢揃い、今はなきソビエト連邦(現在の主体はロシア)の選手団もいて、当時からアメリカとメダル数を争うほどだった。
果たして、2020年の東京オリンピックは何カ国参加するのだろうか。
最後のランナーが国立競技場の聖火台に点火、この後のセレモニーで天皇陛下が開会のご挨拶をされた。
遠藤幸雄選手の金メダル授与式、体操男子平行棒、体操男子個人総合で優勝した。
個人総合は、優勝が遠藤幸雄、準優勝が3人同点で、鶴見修治、ボリス・シャハリン(ソ連:Boris Shakhlin)、ビクトル・リシツキー(ソ連:Viktor Lisitsky)となった。
男子平行棒は、優勝が遠藤幸雄、準優勝が鶴見修治、3位がフランコ・メニチェッリ(イタリア:Franco Menichelli)だった。
ご存知、東洋の魔女(The Oriental Witches)、女子バレーボール、日本対ソ連で優勝を決めた瞬間、日本のオリンピック名場面で出ないことはないよね。
この後、彼女たちは「サインはV」や、漫画の「アタックNo.1」などのスポ根ドラマのモデルともなった。
ちなみに、こういった結果を報道する記者席はタイプライターに、朦々としたタバコの煙、当時はそういう職場環境が当たり前だったんだね~
男子マラソンで、金メダルを獲得したエチオピアのアベベ・ビキラ(Abebe Bikila)、オリンピックのマラソン種目で史上初の2大会連続優勝を果たした。
男子マラソンで、銀メダルのベイジル・ヒートリー(Basil Heatley)と、銅メダルの円谷幸吉、円谷選手は、1968年(昭和43年)1月に衝撃的な自殺を遂げてしまう。
映画の方は、この後、閉会式で「メキシコで会おう」というメッセージでエンディングとなった。
私が映画で印象的だったのは、上述したように場内アナウンスも、陸上のスターターも日本語オンリーだったことで、当時は、自国語オンリーが国際ルールだったのかなと思った。
それ以外には、東京郊外、特に、自転車競技が行われた八王子がのどかな田舎だったことが印象的だった。
さて、いよいよ開催まで400日を切った東京オリンピック2020、せっかくなので、現地観戦したいところなのだが、チケット争奪戦が激しいのでなかなか厳しい戦いを強いられそうだ。(2019年6月20日 BuzzFeed News-オリンピックチケット全落…だけど諦めきれないあなたへ。今後のスケジュールまとめました)
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