がんばっぺ女川

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やまぼうし

私が最初に海外旅行に行ったときのメンバーの1人である木村くんが先日の東日本大震災で被災したと聞いた。

彼はずっと宮城県女川町で「まるき」という水産会社を経営していて、事業所や自宅がモロに津波の直撃を受けたところなので、私を含めたほかのメンバーは彼に万が一のことがあっても覚悟を決めようと話し合っていた。

ところが、幸いなことに、震災後しばらくたってから彼の親友であるタキのところへ生存していたとの連絡があった。
それでも、九死に一生を得た彼の生活基盤はズタズタになり、避難所から仮設住宅に移り住むことができたというものの、不自由な生活を余儀なくされているとのことだった。

そこで、横浜在住のタキ、ノリに私、そして仙台市内に住む浩一の4人で彼のお見舞いを兼ねて激励をすることにした。
もっとも石巻や女川で満足に泊まるところなどあるはずもないので、仙台市泉区にあるやまぼうし(2020年5月末で廃業)という温泉旅館で私たちは再会を約した。

そして、当日、宿泊先へ行く前に被災地を垣間見ようと女川へ向かった私たちが目にしたものは想像を絶する光景だった。
はっきり言って、木村くんはよくここから生還できたな、というのが正直なところだった。

何しろ最大級で海抜20メートルのところまで津波が押し寄せていたというのだから・・・
目の前の光景は、震災直後に比べればだいぶマシになったと思われるが、全部の瓦礫を片付けて町を復興させる目処がつくまでには気が遠くなるほどの時間がかかりそうな感じだった。

こういうところが女川だけでなく宮城県や岩手県の沿岸部には至るところにあるのだろう。
まして、福島県の浜通りはこれに輪をかけて原発事故で人が立ち入ることすらできないと言う。

何万人もの命が失われ、そして生還した人でさえ、その生活がズタズタになったであろう、今回の震災の現実を目の当たりにして私は声も出なかった。

幸いに木村くんは塩釜で会社を再建するための第一歩が踏み出せたと明るい声で語ってくれた。
できることからコツコツやりたいとも・・・

私たちができることはそんな彼らを側面から支えることしかできないが、5年後に目標としている会社創業100周年を是非とも迎えて欲しいと思う。
がんばっぺ女川!がんばっぺ木村くん。

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