世界史を学ぶということ

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「先住民の権利宣言(The declaration on the rights of indigenous peoples)」というものが、国連総会の議決で143ヶ国、全体の9割もの賛成でもって採択された。(「先住民の権利宣言」国連総会で採択、米豪など4か国反対)(Indigenous rights outlined by UN

反対したのは、米国、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドの4ヶ国だけだ。
要するに、アメリカはインディアンを、オーストラリアはアボリジニの権利を剥奪して侵略した結果、今の国家が成り立っているわけだから彼らが自国史の中で最も触れてもらいたくないのがこのことであることは間違いない。

おそらく、カナダやニュージーランドもアメリカやオーストラリアと同じような歴史を辿ってできた国であろうから同様の問題を抱えているのであろう。
彼らが採択の過程で「宣言は我々の法律とは相容れない(The declaration is incompatible with our own laws.)」と抗議したのはそれを雄弁に物語っている。

普段から他国に対しては人権だの、くじらが可哀想だの、言っている国だって内実はこんなものだ。
私が何を言いたいかと言うと、彼らに何かを言われたら、こういうことを挙げて言い返せということだ。
第二次世界大戦前のアジアの植民地問題にしてもそうである。

まして、アメリカ人や、イギリス人、オランダ人に謝れだの、賠償しろだの言われる筋合いはどこにもないということだ。
世界史を学ぶということは、極論すれば外交戦争(交渉)に勝つための理論武装をするということだ。

昨年10月、大学受験に際して重要視されていないことから高校の必修科目であるにもかかわらず未履修であったこと(世界史未履修問題)が多くの高校(特に進学校)で発覚したが、ことは単に学習指導要領を守らなかったということではなく、将来の政官財の中枢を担う人間が世界史を知らぬまま外国人と付き合わなくてはならない、ということを意味するのだ。

小泉首相が対米追随外交をするまで、何でアラブ諸国やトルコが親日的なメンタリティを持っていたか。
多くの場合、それが白人と戦争をして勝った有色人種国家であることが一つの理由なのだ。

外国との交渉は殺し合いをしない戦争のようなものだ。
そのとき相手に言われ放しで反論もできずに黙りこくる。
いくら自分は政府当局者でないと言ってもそんな理屈は通用しない。

少なくとも外国要人と係わり合いの出るような立場の人が、自分の政治・歴史観と兼ね合わせて意見を述べられないようであれば国際社会では失格の烙印を押されるであろう。
それがいかに国益を損なうか、考えただけでゾッとするのである。

コメント

  1. kubokawa より:

    まったくそうですね。
    日本はもっと気概を示してもらいたいものです。

  2. カルロス より:

    >日本はもっと気概を示してもらいたいものです。
    気概を示した人間の足を引っ張るような日系メディアの与太記事もやめてもらいたいですよね。
    それで言い出せない人もいるような気がしますので

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