日経新聞は誰のためのメディアか?

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黄文雄の著書「中国の日本潰しが始まった」

私が今読んでいる台湾人作家の黄文雄氏の「中国の日本潰しが始まった」という本の中でこういう一節がある。

日経新聞も、こともあろうに中国ではウソしか書かないことで有名な中国共産党機関紙「人民日報」と姉妹提携を結んでからは、中国の経済発展を大いに強調し、対中国投資を奨励する大宣伝を行なうなど、手放しでの中国賛美、中国の代弁姿勢が鮮明になっているから、もはやクオリティペーパーとしての資格は失われたと言ってよい。

親中反日新聞の代表たる朝日新聞はおろか、日経までが中国賛美のメディアに成り下がっていたということは、私が知らなかっただけなのかというと、そうでもないようだ。

硬派のブログなどを見ても朝日新聞は右派系の投稿者の攻撃の対象となっていても、日経のことを悪し様に言っている人はほとんどいない。

おそらく日経の場合は政治的な分野では朝日ほど中国礼賛色を出してないのと、ビジネスマンの間では一応クオリティペーパーとして見られていることから巧妙に立ち回っているだけなのだろう。

事実、黄氏は、2003年10月29日に起きた中国・西北大学の日本人留学生の寸劇事件にからめて、単なる若者の悪ふざけを、決して褒められる行為ではなかったにしろ、バカにされたとして激高し、大暴動まで起こした中国人の異常ぶり、それを政治問題にした中国政府の非常識さを全く非難しようともせず、朝日新聞はもとより、日経新聞までが「事件は日中関係や両国の国際イメージを損ない、双方が傷ついた。事件の教訓をお互いが冷静、真剣に反省する必要がある」とまで書いたことから、なぜ留学生も「反省」しなければならないのか、中国に「反日」が発生すれば、すぐ自国民に「反省」」を訴えるのは、日本のメディアの卑しい条件反射でしかない、と苦言を呈している。

また、日本のメディアは現地(中国)へ記者を派遣して独自に裏を取ろうとせず、デマ社会のデマ情報を鵜呑みにして報道をしていると手厳しい。

こちらが中国礼賛の記事の代表とすれば、一方、2005年9月3日号の週刊現代は、「クオリティペーパーの罪」として日経のことを取り上げ、高杉良氏と大塚将司氏の対談の形を取り、

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(高杉) ある通産省の高官(当時)が、「日経新聞は言った通り書いてくれる。あんないい加減な新聞はないよ」って言ったのを聞いたことがあります。
日経は情報を検証しないんですか?

(大塚) 出世する記者は、業界紙を写すのがうまい人なんですよ。なぜかというとデスクや部長は業界紙を読んでない。
まじめな人は業界紙に出ている記事を独自ダネの大ニュースとして申告するのは恥ずかしい。
要領のいいのがやるんです。
業界紙を見て記事を書けば楽なわけですよ。
広報あたりに中身を確認して記事を少し書き換えればいわけですから。今だってあると思いますよ。

(高杉) 日経新聞の罪は竹中平蔵を評価して売り出したことです。なぜ竹中氏があれだけの異常なパワーをつけたのか不思議に思うのだが、その責任の一端は日経にあります。
小泉首相が経済オンチということもあって、経済政策のほとんどを竹中氏に丸投げしてしまったのだが、その結果、日本の資産がハゲタカファンドにいいように買い漁られてしまったんです。
私は小泉内閣は戦後最悪の内閣だと思うのです。
それは、アメリカの言いなりになって、弱者を切り捨てたからです。これは本当に罪深いことだと思います。
そして、そのお先棒を担いだ日経の犯した罪は10年後に検証したときに、必ず明確になるでしょう。

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このことから何が言えるか?

ビジネスマンが愛読している日経新聞は実は、単なる米中及びその代理人の広報紙、あるいはメッセンジャーとしての機能しかないと言えないか。

まだ日本経済が健全だった頃、作家の佐高信氏が日経は「財界の広報紙」と呼んでいたが、まだ当時の方が「日本経済界」のメッセンジャーであっただけマシだったのではないか。

私はあの新聞は株式投資のための単なる企業の決算広告紙としか利用してないが、その程度の方が理にかなった使い方と言えるかもしれない。

2005年10月28日の読売新聞は、15、16日の世論調査結果として、中高年層は「本離れ」が激しく、調査対象期間の1ヶ月のうちで読書を全く読まなかった理由として、48.6%の人が「時間がなかった」と書いている。

要するに、多くの日本の中高年世代、特にサラリーマンは意図せざるして本も読むことができないような多忙な環境に追いやられ、通勤時に読む新聞からは受動的な偏った知識だけを詰め込まれ、それを斟酌することも疑問を持つこともできなくなっているのではないか。

その中でクオリティペーパーとしての価値を全く失った日経の罪は重い。
数ある政治経済関係の掲示板やブログの中で、私は呆れるようなコメントをいくつも発見することがある。

「小泉首相のおかげで景気が底を打った。彼の構造改革の成果が出ているんだ。そのことがわからないのか?」

これは主に高杉氏のようなコメントに対して見られる反論だが、まるで経団連のステートメントみたいな気分を感じる。
しかも言っている主はいっぱしの「勝ち組」気取りで、悔しければお前も入ってみろ、と言わんばかりだ。

でも実のところ、成績が5段階評価で2の人間が1にされた人間をバカにしているほどでしかない。
要は弱者がさらなる弱みを見せる弱者を叩いているのだ。

これこそ、今の社会風潮となっているもので、政治が悪いなどと決して言わせないための戦略なのだ。
日経新聞は見事にそのお先棒を担いでいる。

先ほどのコメントに関してだが、私に言わせれば、バブル経済の頃から「従業員にまともな残業代を払い、休暇が取れるような人員構成にしたら利益が上がらない」などとほざいた日本の企業の収益構造がおかしかったのだ。

佐高氏は「日経は間違ってもそんなことは書かないから財界の広報紙なのだ」と切り捨てていたが、小泉内閣誕生以来、大企業は現場の従業員に過労死・過労自殺・欝になるほどの過重労働をさせ、下請け企業には生死の境目を漂わせ、女性は切り捨て御免の派遣化、これで利益が上がらなければ経営陣はバカである。

決して企業利益の増大や株価の上昇は、新聞が報じるような、小泉首相が自画自賛する結果などではないのだ。

そのことは2005年10月24日号の日経ビジネス「社員が壊れる-最高益に巣食う 現代版『モダン・タイムス』」という特集によく書かれている。

そんなことも本も雑誌も読まない人にはわからないだろう。
朝刊しかまともな活字を見ない人にとって、新聞が真のクオリティペーパーであるか否かは、国民の民度にも影響する。

そういった意味でも日経新聞が単なるメッセンジャーとなっている罪は重い。

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