こんな大臣、こんなマスコミ

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イタリア語の新聞

まずは、週刊新潮(2005年5月26日号)に掲載された2つの記事を見て欲しい。

小泉内閣でもはや”恍惚状態”の人。南野(のうの)知恵子法相(69)のことである。大臣就任直後に、「法相としての勉強を寝ずにやっている」と言っていたが、成果はまるでナシ。関係者も完全にお手上げ状態なのだ。

南野大臣といえば2004年10月、衆院予算委員会で日歯連の捜査について開かれ、答弁が二転三転。民主党から罷免要求きれた。

あれから7カ月。少しは大臣らしくなったかと思ったら、「学習能力がゼロ。全く進歩がありません」とサジを投げるのは、ある法務省関係者。

「大臣の定例会見は火・金の週2回。一人で喋らせたら直ぐに脱線しますからね。前日に大臣官房の人間が、会見の幹事社にどんな質問が出そうか聞いて、細かい想定問答集を作る。あの人は漢字が苦手で、難しい字にはルビを振っています」

とにかく手間がかかって仕方がない。「会見では秘書課長が必ず陪席します。で、記者から難しい質問が出ると、この秘書課長たちが大臣に代わって答える。その後、大臣の見解を聞くと、”今、課長が言った通りでございます”と言うだけ。ある記者は”これじゃ、原稿にならない”と嘆いていました」
まるで、小学生並みである。

もっとも、最近は少し自我が芽生えてきたようで、「5月13日の会見では、保護観察中の男が少女を監禁して逮捕された事件について聞かれ、”誠に申し訳ない”とつい本音がポロリ。後から”一個人としての見解。法務省に落ち度があるという意味ではない”と言い訳していたが、事務方は冷や汗をかいていました」(法務省担当記者)

■首相の高等戦術?

もちろん、国会答弁も相変わらず意味不明である。
現在、国会では会社法の改正法案を審議中だ。中でも、M&A(企業の合併・買収)を容易にする”三角合併”の解禁が注目されていた。ところが、解禁は法施行からさらに1年間延期されることになった。

政治部デスクが明かす。
「4月20日の委員会で、民主党議員が先延ばしにした理由を質した。すると、南野大臣は、”いわゆる先生がお話しになられる三角関係、三角合併を可能にする、もう三角関係が多いものですから・・・”と言ってしまったんです。議場がざわめき出し、記者や議員の失笑を買っていたのは言うまでもない。ここまでくると勉強不足というレベルじゃないね」

同じ三角でも、”合併”と”関係”では大違い。まさか三角関係の意味さえもご存じないのでは・・・。質問した民主党の近藤洋介議員はこう呆れる。

「僕白身は言葉尻を捉えてどうこう言う気もなかったので、笑って聞き流しました。しかし、あの時はライブドアの敵対的買収で、三角合併が注目されていた。そこで言い間違えるのはどうかという気がします」

要は、会社法は難しすぎて南野センセイには理解不能らしいのである。
「我々の間では、正直、難しい話は大臣には敢えて答えさせない。一番のポイントだけ聞いて、後は副大臣以下に振ったほうが実りのある質疑ができるからです」(同)

もはや、まともに相手にされていない感じ。哀れ。
「民主党は当初、南野さんを攻めた。しかし、何を言っても的外れな答えなので、今や完全に諦めムード。

タダのおばちゃんをいじめるのもどうかと。結果的に自民党主導の法案作成ができる。
もしかしたら、南野さんの起用は、小泉首相の高等戦術かもしれません」(政治評論家の有馬晴海氏)
そんな穿った見方まで出る始末。ホント、日本の政治ってレベルが低いよね。

こんな大臣の質疑応答の様子にさえ、わが国のマスコミは陰口を叩くことはあっても表立って記事にし、批判することはほとんどない。
私の記憶では、マスコミも以前に官僚主導の行政を批判し、政治主導にすることに賛成したはずだ。

その政治主導の実態がこれなのに、小学校の学級会のようにおとなしく記者会見を聞き、舌鋒するどく反論することもなく、秘書課長の答弁を記事にしているのだろうか。

これでは私が批判した司法の実態(1月15日1月29日の「今日の一言」)が改善されるべくもない。
日本の三権分立がこれらのことからも絵に描いた餅でしかないことがよく理解できるはずだ。

そういった意味で、日本のマスコミはベンジャミン・フルフォード(Benjamin Fulford)が「日本マスコミ『臆病』の構造」の中で言うように、旧ソ連のプラウダ(Pravda)と全く同じなのだ。
今では、中国の新華社と同じと言った方がふさわしいかもしれないが、いずれにしろ、日本のマスコミは体制側の広報紙でしかない。

一方、こちらの記事を見て欲しい。

暴言を吐いたのは読売新聞の「ヒゲ記者」だけではなかった。糾弾会と化していたJR西日本の会見場で、何とNHK記者も一緒になって「吊し上げ」に加わっていたという。

前号(5月19日号)で報じたヒゲ記者の「暴言」問題は、5月12日になってようやく読売l新聞が謝罪した(ちなみにヒゲを剃ったというのは誤りで、ヒゲは今も剃ってないそうです)。

だが、会見場では、ヒゲ記者のほかに、もう一人汚い言葉を浴びせて平然としていた記者がいる。「その記者は、NHK大阪放送局のS記者ですよ」というのは会見に出ていた別の記者である。(関連ブログ記事

「あんたら、もうエエわ」というヒゲ記者の関西弁と違って標準語で喋るせいか迫力はイマイチだが、机をバンパン叩きながら”恫喝取材”するあたりはそっくり。

「JR側が答えている最中にそれを遮って質問を浴びせたり、JR側が何か言うたぴにいちいち”それ、何時何分!?”と突っ込む。あれじゃ嫌がらせです」(同)

■カギカッコだよ!

こんなのは朝飯前で、脱線した電車に二人の運転士が乗り合わせていたものの救助に参加せず、そのまま出社したことが分かったときなどは、「カギカッコだよ、カギカッコ!」と怒鳴りあげる。

つまり、運転士二人は何と釈明しているか答えろ、という意味なのだが、そうかと思えば、JR側が返答に手間取っていると、「(JRの)会見者代えてくださーい」などと嫌味な言葉を投げつける始末。

ちなみにこのS記者、年齢は30代で、ヒゲ記者と同じ「遊軍」だという。「もともとは運動部に所属してバファローズを担当していました。その後、社会部に移ってきたのですが、大阪府警の記者クラブでハンナン畜産の事件を取材していたこともあります」

そのS記者、最近はさすがに机を叩くのを止めたというが当のNHKはというと、「記者本人や同僚に確認するとともに、あらためて会見のVTRもチェックしましたが、ご指摘のような事実はありません」(大阪放送局広報部)と否定して処分の必要はないと言い張るのである。

まさにわが国のマスコミの現状を如実に表しているエピソードといえるだろう。

確かにJR西日本の幹部は糾弾されるべきところは多い。しかし、事故が起こった背景については、普段から労使双方から取材する姿勢を見せていれば、前近代的な日勤教育なるものはもっと前に問題視されているはずだし、過密なダイヤや運転士の置かれてる現状もそうだったはずである。

マスコミが、地道な取材をせず、記者クラブに安住した権力者の広報紙に成り下がっているから、事故や事件が起こってから堰を切ったような、ウサ晴らし報道の連続となるのだ。

事故当日の酒盛りやボーリング大会を非難したところで、事故原因の解明にも再発防止にも繋がらないのは当たり前で、むしろ挑発に乗ったバカの運転士に対する暴力事件を誘発しているのが現状だ。

日本のマスコミは、事故や事件が起こった場合だけ、いかにも権力を批判しているフリをするセレモニーが許されている。
たいていの場合、反論できない立場の人間がスケープゴートにされて、尻切れトンボのまま真実が隠蔽され続けることになるのだ。

今回のことも、本来だったら「民営化の光と影」とかいうレベルの特集がなされ、法案審議中の郵政民営化法案の中身にさえ疑問を投げかけるくらいのものなのに、単に「JRの安全管理体制の問題」で幕引きが行なわれる公算は非常に強い。

むろん、運転士が抱えるストレスと事故の起こる可能性を示唆するメンタルヘルスのことに触れた記事も、公共交通行政の責任官庁である国土交通省の失態を糾弾した記事も私が知る限りほとんどない。

所詮、わが国のマスコミは「ワイドショー」レベルなのだ。
そういった意味では、先ほど私が言った「新華社」レベル以下かもしれない。

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