帰国早々に肺炎で入院~2021年の年越しは病院で

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大和徳洲会病院

今から遡ること半年前、「命の119番〜7月下旬に肺炎で1週間の再入院」で書いたように、私は肺炎で国際親善総合病院に1週間ほど入院した。
そのときほど酷くはないが、今回は中央アジア旅行から帰国直後(12月31日)に、軽い肺炎で入院するハメになった。

ただ、前回と違って、今回は海外帰国者ということで、119番通報で来てくれた救急隊員や、受け入れ先候補の病院関係者が、私のオミクロン株(新型コロナウイルスの亜種)感染の可能性に怯えて、身構えているのが通信の様子からも感じられた。

実際のところ、2021年12月30日付のBBC Japanは「オミクロン株とデルタ株で『感染の津波』が発生 WHOが警告」と報じていたからだ。

国際親善病院

昨年の7月末のときと12月末で、私のように、咳や発熱の症状がある人の救急搬送で、最も大きな違いは、受け入れ先の病院が決まるまで、自宅等で待機させられることだ。

その間、救急隊員の方が受け入れ先候補の病院を当たってくれるのだが、年末年始で医療スタッフが手薄なことと、私が透析患者であることが受け入れを余計に難しくしていた。

結果的に、神奈川県大和市にある大和徳洲会病院に受け入れが決まってホッとしたのだが、そこがダメだったらどうなっていたのだろうと思う。

大和徳洲会病院

今のご時世から言っても、入院時には必須となっている新型コロナウイルスのPCRと抗原検査はここでも行われた。
帰国前72時間のPCR検査の陰性証明や、成田空港でのPCR検査で陰性だったことなど、聞かれもしないし、彼らには参考にもならないのだろう。

ドクターの診断の結果、軽い肺炎が起きているということで、最初は薬だけ処方されて帰宅する段取りになりかけていたのだが、念のために1泊だけしていくことになった。

ちなみに、この日は緊急透析も行われたのだが、私の場合、下手すれば心不全で死ぬ可能性もあるほど検査のデータが悪かったらしい。

ウズベキスタンで腎移植の手術をする予定が、肺炎になって日本で入院するとは思わなかった。
でも、あのままウズベキスタンに滞在を続けたら、私はあの世に逝っていた可能性もあるわけだ。
そう思うと、一時帰国したのは正解だったとも言えるだろう。

そして、大晦日の夜、臨時の旅系オンライン飲み会(私は入院中で飲めないが)が行われた。
新型コロナウイルスに感染の疑いがあるとのことで、個室を当てがわれたので、割合自由にミーティングができた。
ただ、部屋からは一歩も出れない不自由さは享受しなければならなかった。

もちろん、厚生労働省・入国者健康確認センターの「14日間の待機期間中」のルールにある待機場所は、自宅でなく、一時的に大和徳洲会病院にしたことは言うまでもない。
届け出はMy SOSのアプリ画面の「特別な状況の届出」から情報を送信して応答を待つことにした。

ちょうど1年前、「輝かしきスタートを切った2021年のNew Year’s Day」と意気揚々として書いたのも束の間、これほど入院、療養三昧の年になるとは自分自身も想像だにできなかった。

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