2020年5月13日のBUZZAP!(バザップ!)に「【新型コロナ】4月の自殺者数が前年比約20%減に、職場や学校で悩まずにすんだためか」という記事が掲載されていた。
新型コロナウイルス感染症緊急事態宣言による外出自粛が日本経済を殺すよりも、休校や在宅ワークによって、命を救われた(自殺しないで済んだ)人の方が多いのではないかという皮肉に満ちた内容だ。
この記事の根拠たる警察庁の自殺者数の推移を見ると、意外にも今年の4月の自殺者(速報:1,455人)は、昨年同月比(2,094人)で大幅に減少していたという。
新型コロナに伴うイベントや店舗への営業自粛の要請では、倒産や廃業、従業員の解雇などの経済への打撃、ひいてはそれらを原因とした自殺の増加などが懸念され、補償や給付を求める声が挙げられてきました。
ですが全体で見れば、新型コロナ対策での全国的な自粛の波よりも平時の日本社会での職場や学校の方がより人々を自殺に追いやっていたと考えることもできます。
2019年度(令和元年度)の警察庁の自殺者の統計によれば、例年の自殺要因のトップは、健康問題(うつ病、身体的な病気など)であるが、精神疾患の多くは、元を辿れば、職場や学校での過重なストレスが挙げられるのは周知の事実だ。(参考:厚生労働省-ストレスチェック等の職場におけるメンタルヘルス対策・過重労働対策等 文部科学省-子どもの自殺予防)
私が時折見ている「お前ら、社畜で人生楽しいか?」というブログでも、「会社や学校へ命がけで行く必要がある修羅の国・日本(2017年4月7日付)」と書かれているように、そこまで精神的に追い詰められている人は、ずっと緊急事態宣言が解除されなくてもいいと思っていたに違いない。
なぜなら、緊急事態宣言が解除されなければ、子供にとっては、ずっと学校は休みだし、サラリーマンは、顧客との対面業務が必須でなければ、半ば強制的に在宅勤務になり、職場へ出勤しなくてもいいからだ。
もちろん、今後も「在宅を標準にする」とか言っている会社は別だが、何の意味もなく、朝の満員電車に乗ることを強要されるような会社なら行きたくないはずだ。
過去を遡れば、2017年10月4日付のダイヤモンドオンラインで、作家の橘玲氏が「日本人は『会社が大嫌い』で『会社のことを信用していない』」という記事を書いていた。
21世紀初頭の平成不況の最中のことだけでなく、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」といわれた1980年代後半から1990年代はじめにかけて、「日本がもっとも輝いていた時代」に行なわれた調査でも、そうだったと言う。
そもそも日本という国は、2018年6月23日付のBusiness Insiderの記事「会社は学校じゃないと言われて、意気込んで入ったら学校より学校だった話」にあるように、中学校より上の学校は、忠実なサラリーマンになるための会社の予備校みたいなものだ。
従って、子供の頃に不登校になったようなタイプの人は、成人しても、官公庁や典型的な日系企業には勤めない方がいいだろう。
私は、退院後も在宅でリハビリをやっているので、今まであまり見ることのなかったテレビを見たりしている。
画面の向こうでは「経済が~ 仕事が~」と言っているが、サラリーマンの中には、あんな会社に行けるかと思っている人が、案外と多いような気がする。
事実、過去において、○○がうちの会社や上司を××してくれないかな~とかツイッターなどでつぶやいていた人は、間違いなく、そう思っているだろう。
警察庁の自殺者の統計を見ていると、もしかして、日本人はコロナ禍で会社へ行けなかった方が幸せなのかと思うのだ。
それが正しいか否かは、2020年(令和2年)6月以降の自殺者数と、その原因を見ることによって答えが出るだろう。
世間一般に言われるような経済苦なのか、私などの推測が正しいのか・・・
それに、今後は、日系企業でも在宅勤務(テレワーク)が一般化されてくると、働く方の意識も変わってくるに違いない。
そうなると、意味もなく満員電車で通勤させるような会社は、優秀な人材から見向きもされなくなる。
そして、働き方改革がスタートした頃、何それ美味しいのとか言っていた経営者とサラリーマンの意識を、コロナ禍が変えさせたことは、確実に、新たな日本の経済史の1ページを開くだろう。
そうでなければ、日本企業のほとんどが、国際社会の人材から見向きもされなくなるのだ。
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