去る5月10日付の国際ニュースで、マレーシア連邦下院選が投開票され、マハティール・モハマド(Mahathir Mohamad)元首相が率いる野党連合・希望連盟(PH/Pakatan Harapan alliance)が勝利し、92歳で首相に返り咲くことになったことが報じられた。(2018年5月10日 BBC Japan-マレーシアで政権交代 マハティール元首相の野党連合が総選挙勝利 BBC on 10 May 2018 – Malaysia election: Opposition scores historic victory)
マハティール元首相と日本との関わりは、1992年10月14日に香港で開催された欧州・東アジア経済フォーラムにおける「もし日本なかりせば演説」 「原文:Towards a prosperous future (PDF)」があまりにも有名なところだ。
時は宮澤喜一首相の時代、このときの日本はまさにアジアのリーダーとして輝いていたときだ。
このときから10年後、2002年12月12日、小泉純一郎首相の時代、彼は日本で「東方政策20周年-グローバル社会の中における日本の課題(原文:Look East Policy – The Challenges for Japan in a Globalised World)」という表題の講演をした。
「日本は、従うのではなく自らが先導する決心をすれば、多くのことがなし得る。先導されることではなく、先導することが、正にグローバル化した世界における日本の課題である。(It can do many things if it decides not to follow but to lead. This then is the challenge for Japan in a globalized world, to lead and not to be lead.)」
当時のマハティール首相は、政治も経済も混迷していた日本に対して、再びアジアのリーダーシップを取るように叱咤激励していた。
日本という国に対して大きな期待をしてくれていたのだ。
さらに言うなれば、彼が政界からの引退を表明するのと前後して出された本は「立ち上がれ日本人」という本で、これ以外にも日本に対して提言をなした本が出版されている。
そして、2003年10月にマハティール首相が引退を表明したとき(2003年10月4日-マハティール首相の引退)、私はコラムの中で、数少ない親日家である彼の功績を日本政府やマスコミはほとんど評価することはないが、彼ほど日本が失われた10年と言われた中にあって「日本よ頑張れ!」と言ってくれた人はいないと思うと書いた。
中でも象徴的だったのは、1994年8月の村山富一首相の東南アジア歴訪の際、マハティール首相は、「日本が謝罪外交(apology diplomacy)を止め、アジアで平和と繁栄を促進するためにリーダーシップを取るべきである。(Japan should stop its “apology diplomacy” and play a leadership role to promote peace and prosperity in Asia.)」と述べたことだ。
しかし、残念なことに、当時の村山首相は元より、歴代の日本の首相は彼の忠告に耳を傾けようともせずに土下座外交を続け、当時から20年以上たった今でも、韓国から従軍慰安婦問題を盾に金をせびられ続けている。
当然ながら首相に返り咲くマハティール氏は、失われた平成時代の日本の政治・経済の有様を目の当たりにしているはずだが、首相に返り咲いた後も日本のことを気にかけてくれるのだろうか。
残念ながら私はそうならないような気がする。
要は見捨てられる可能性が高いということだ。
コメント
92歳で先頭立って旗ふって
皆を引き連れて・・・
お体を心配せずにはいられない
心配と言えばカルロスさまもです
これだけ活動なさっていて
まさかお仕事継続されているとは思いませんでした
どうぞ無理のないように
ボチボチと。。。
trintrnさん、ありがとうございます。
私の友人も数多いですが、私が仕事をしていることを気遣ってくれたのは貴方だけです。(笑)
これからもボチボチとやっていきますので、ご声援をお願いします。