衆議院議員総選挙の結果に一喜一憂するより自分を変えよう

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さっぽろ羊ヶ丘展望台

明日は第46回衆議院議員総選挙だ。

この選挙は、定数480名の小選挙区比例代表並立制で行われるにもかかわらず、候補者を擁立した政党は12党に及び、1504名が立候補を届け出ている。

この選挙制度を導入したときには、日本も英国のように二大政党制が根付くことが目的にされたはずなのだが、現実は単純比例代表制の下で行われているが如きに多党が乱立し、3年前に政権を取った民主党が、マニュフェストに掲載した公約を徹底的に反故にしまくったせいで、もともと信用度の低かった政治家の公約を誰も信用しなくなった。

このままいけば、「2050年の世界 英『エコノミスト』誌は予測する(Megachange: The World in 2050 (Economist))」にある通り、40年後の日本は悲惨な状況になっているであろう。

ところで、自分の意見に一番近いのはどの党か真剣に考えたいという人は、日本政治.comの「投票マッチング」を使ったりしているが、そもそも政治家の言っていることが当選後に180度変わるような状況では、このシステムもほとんど意味がない。

従って、強固な支持者を除けば、ほとんどの人は何だかわからないときは自民党、まるで「有事の金(きん)」のように日本の有権者は先祖帰りを起こして、総選挙の投票前から自民党が政権復帰するのは既定路線のような報道をされている。

3年前に国民から三行半を突きつけられた政党が、何も変わらないのに複権するなどというのはブラックジョークでしかない。
ちなみに、今回の選挙で私は「投票マッチング」の結果に従い(笑)、「みんなの党」に期日前投票した。

本当は棄権しようとも思ったが、権利の放棄は私の信条に反するのでしなかったのだ。

今、私の手元にスティーブ・シーボルト(Steve Siebold)著、弓場隆訳の「金持ちになる男、貧乏になる男」(How Rich People Think)があるのだが、その中の一節にこういうものがある。

貧乏になる男は誰かに「助けてもらおう」と考え、金持ちになる男は自分で「物事を解決しよう」と考える。
貧乏になる男は、誰かが自分を助けて願いをかなえてくれるのを待っている。
彼らが待望している救世主は神様、政府、政治家、配偶者である。

しかし、そうやって手をこまねいている間にも時間はどんどん過ぎていく。
貧乏人が死の床について必ず後悔するのは、「思いきって自分の好きなことをすればよかった」ということである。
あなたにとって最大のリスクは、何もせずに願いがかなうのを期待することだ。

一方、金持ちになる男は「誰も助けに来てくれない」と考え、しかもそれを喜んでいる。
彼らは「本当に楽しいのは、目標の達成そのものではなく、目標を達成する過程で自分がどういう人間になっていくかを確認することだ」と言う。

私は長年にわたって多くの人と会って話を聞いたが、そのなかでもっとも幸せに暮らしていたのは金持ちである。
しかし、金持ちが幸せなのはお金があるからではない。
彼らにとって幸せとは、「誰かが助けに来てくれるのを待たずに自分で目標を設定し、ひたむきに努力してゲームに勝つこと」なのだ。

お金はそのための目安にすぎない。
お金は生活を快適にしてくれるが、幸せを買えるわけではない。
お金がないから幸せではないというのなら、お金があっても幸せになれない。
お金と幸せはどちらも重要だが、相関関係はあまりない。

ここで、最も重要なのは、「貧乏になる男は、誰かが自分を助けて願いをかなえてくれるのを待っている。彼らが待望している救世主は神様、政府、政治家、配偶者である。」という最初の2行だ。

一般庶民ならまだ笑って許せるだろう。
私を含めてほとんどの庶民は金持ちではないからだ。

ところが、景気後退局面に陥った1990年代以降の日本では、並み居る大企業経営者たちまでが、「政府に景気対策して欲しい、○○先生のお力で何とかして欲しい。」の大合唱だったいうから驚く。(2007年12月31日-The way to lost quarter century and…

大前研一氏や故三原淳雄氏のような良識的な人たちが嘆き悲しむのも無理はない。
結局のところ、貧乏メンタリティに毒された経営者の下で働いている社員が豊かになれるはずもないだろう

しかも、2006年1月8日付の朝日新聞によれば、「団塊のあした-ふたたび出会うために」という表題で、「団塊の世代の結婚は、恋愛が見合いを上回る。職場結婚も多かった。女性のほとんどは寿退職して専業主婦になった。夫は外で働き、妻は家庭を守る。男性と女性の役割分業は、経済成長を推し進める国策でもあった。」とある。

貧乏メンタリティを国中に蔓延させていたのかと言いたい。
そして、その毒は回りまわって国のすべてを覆い尽くすことになる。

兵庫県立大学大学院教授の中野雅至氏は、その著書「これから20年、三極化する衰退日本人 ~依存する人・搾取される人・脱出する人~」の中でこう言う。

1990年代後半以降、日本人は経済成長などのパイを拡大するという自信や発想をなくしている。

これが衰退現象の一つ目の大きな特徴だ。二つ目は縮小するパイを配分・シェアできないということだ。

簡単に言えば、同質性が高く、互助の精神があると言われているにもかかわらず、日本人は互いに少なくなるパイを分け合うという発想がなく、あいつがもらいすぎている、こいつが楽をしている、と文句ばかりを言っている。

衰退社会の三つ目の特徴は、衰退する中で先細るパイを巡って醜い争いを繰り広げていることだ。

私が今回の選挙で棄権しようかと思ったのは、どの政党もどの政治家も未だに英語教育の充実を言わないからだ。

日本が再び豊かになるためには、第一に東南アジア各国のように英語教育を徹底するしかないのだ。
シンガポールや香港がアジア随一の経済発展都市になっているのは偶然でも何でもないのだ。

英語教育を充実させると日本人のアイデンティティが失われるなどと言っている人は、それこそ亡国の民である。

資産フライト 「増税日本」から脱出する方法」の著者、山田順氏は言う。
「グローバル社会において、経済発展するためには共通語である英語ができなければならない。英語ができればもっと日本人は豊かになれるし、国際競争力のある労働者になれる。英語教育こそ最善の雇用対策である。」

私に言わせれば、これからの時代は英語が通じにくい国には投資もされないし観光客も来ない。
もはや日本が変わるのを待っていては、それこそ自分の人生が終わってしまう。

明日の選挙結果がどうなろうと、そんなものには一喜一憂せず、自分が変わるしかないのだ。
変わろうとしないなら、自分の一生を政府や会社に委ねることになり、苛酷な日本の運命の巻き沿えを食うだろう。

ちなみに、2004年2月29日に書いた「未来へのシナリオ」は私自身への教訓であり、ピーター・タスカ(Peter Tasker)の「不機嫌な時代-JAPAN2020」は私にとって運命を変えた書籍の一つである。

言うまでもないことだが、私の目指すものはデジタル元禄の主人公、「田中春子」である。

コメント

  1. RXK より:

    英語の通用度と海外投資を直結させたり、大前研一如きを良識派とされる所論についてはともかく、英語教育が雇用対策だなどと心底あきれました。

  2. カルロス より:

    RXKさん
    >英語教育が雇用対策だなどと心底あきれました。
    人の意見を批判するときは自分がこう思うというのを書くべきではないですか。
    日本から企業が海外へ移転し、海外からはやって来ない。起業もそれほど盛んとは思えない。
    これから日本人はどこで何をやって食っていくのですかね?

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