対露戦勝記念日を制定してみろ

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ブルーインパルスの編隊

明日、9月5日は1905年の日露講和条約(ポーツマス条約)調印から105年目に当たる。

この日は帝国主義時代の白人優位の世界において、有色人種国家が白人国家に勝利した記念日であり、日本が江戸時代末期に結ばされた欧米列強との不平等条約の是正の契機になったことでもある。

そればかりでなく欧米の植民地にされていたアジア諸国に独立の希望を与えたことでも日露戦争の勝利は大きなインパクトがあった。

当時、欧米列強の支配下にあり、後に独立した国々の指導者の回顧録に「有色人種の小国が白人の大国に勝ったという前例のない事実が、アジアやアフリカの植民地になっていた地域の独立の気概に弾みをつけたり人種差別下にあった人々を勇気付けた。」と記されるなど、植民地時代における感慨の記録が数多く見受けられるのは、その証左である。

なぜ今このような話題を出すかというと、ロシアが破廉恥にも9月2日を事実上の対日戦勝記念日と定め、お祝いをしたからだ。
彼らが第二次世界大戦の当事国であったドイツに対して、対独戦勝記念日を制定し、勝利を祝うというのは理解できないでもない。

当時のナチスドイツがソ連に宣戦布告(不可侵条約を破棄)し、これを撃退して勝利したという大義名分があるからだ。
しかし、日本に対しては、敗色濃厚となった段階で、しかも形だけとはいえ中立条約があったにもかかわらず、それを破棄して、火事場泥棒的に参戦し、勝利したというのは、おこがましいにも程がある。

本来であれば、日本政府も100年目に当たる2005年9月5日に「日露戦争終結100周年」と名付けてお祝いをすべきだったのだろうが、当時はともかく、今後もロシアが破廉恥な記念行事を続けるのであれば、それに対抗して9月5日を祝日化すべきであろう。

ロシア政府は日本の反発を抑えるために「対日戦勝記念日」を「第二次大戦終結の日」と言い換えているようだが、日本は堂々と「日露戦争終結の日」とすればいい。

しかしながら、第二次世界大戦のトラウマを抱える日本政府が、ある意味、ロシアを挑発するようなことができるとは思えないし、竹島問題の記述を巡る2010年版防衛白書の発表延期(2010年7月28日-朝日新聞-防衛白書発表延期 韓国併合100年控え「竹島」回避か)や、韓国併合100年談話(2010年8月10日 菅内閣総理大臣記者会見)に見られるように、虚弱外交というか売国奴の見本のような菅直人首相ではまず不可能であろう。

9月3日付の産経新聞によれば、「ロシアが対日戦勝史観を軸に、中国などと日本包囲網を形成する動きもある。ロシアのブヌコフ駐韓国大使は2日の行事で日本による中韓両国の被害を強調。『ロシアは連合国との参戦に関する責務(ヤルタ秘密協定)を果たし、大戦の終結を早めた。ソ連の対日参戦は連合国の結束の強さを示した』と語っている。」とある。

日露戦争やその後の日韓併合に至る史実を検証すれば、ロシアのブヌコフ駐韓国大使の言葉がいかにしらじらしいかよくわかる。
こんなものは、外交上のはったりの一つなのだが、日本政府関係者がまじめに受け取ればますます泥沼に嵌まる。

もし、これに便乗して(しなくてもだが)、中国が南京大虐殺のことを言い出すならば、こう言い返してやればいいのだ。

「1958年から1962年の間の毛沢東(Mao Zedong)の狂気の大躍進(Great Leap Forward)による大飢饉で3000万人もの死者が出たことはどう思うのか?(What dou you think the 30 million Chinese who died in famines created by Mao Zedong’s lunatic Great Leap Forward between 1958 and 1962?)」

「1950年にチベットへ侵攻したことは?1979年にベトナムに対して攻撃したことは?(What about China’s invasion of Tibet in 1950 and aggression against Vietnam in 1979?)」

外交などというのは、カジノゲームでいうポーカーと同じで、ブラフ(はったり)をいかに有効にかけるか、さもなくば圧倒的に強いカードで相手をねじ伏せるかなのだから、そんなものにいちいちまともに反応している日本は世界の笑いものだろう。

一時期、日本の高校の授業で世界史を教えないということが話題になったが、こんなことは私に言わせればおよそまともではない。
少なくとも明治以降の日本を取り巻く世界情勢について学ばなければ、ますます世界中の国々からカモ扱いされることだろう。

1994年8月の村山富一首相の東南アジア歴訪の際、当時のマレーシアのマハティール・モハマド(Mahathir Mohamad)首相は、「日本が謝罪外交(apology diplomacy)を止め、アジアで平和と繁栄を促進するためにリーダーシップを取るべきである。(Japan should stop its “apology diplomacy” and play a leadership role to promote peace and prosperity in Asia.)」と述べたが、日本の世界における存在感が低下しつつある昨今において、もはやそういったことを言ってくれる人はいない。

対日戦勝記念日 極東でも「解放者」史観の浸透図る 中国と連携も (2010.9.3 産経新聞)

【ユジノサハリンスク=遠藤良介】 「ソ連はナチス・ドイツから欧州を解放した」。こんなロシアの国定「解放者」史観が、露極東や東アジアにも広がろうとしている。
戦後65年の今年になって、事実上の対日戦勝記念日を制定した大きな狙いの一つがここにある。

日ソ中立条約を破って1945年8月9日に参戦、15日の日本降伏後も一方的攻撃を続けた行為を「解放戦争」に高めるため、当局は上からのプロパガンダ(政治宣伝)に躍起だ。
旧ソ連・ロシアでは対ドイツ戦(1941~45年)が「大祖国戦争」と呼ばれ、その5月9日の戦勝記念日は最も重要な祝日とされてきた。2700万人ともされる犠牲者を出す総力戦だったからにほかならない。

ロシアは「欧州の解放者」との立場を誇示し、それを国民の結束と国際的地位の向上に利用してきた。
これに対し、ロシア側の情報でも死者8200人という対日戦は、ロシア社会での認知度が低かった。9月2日のサハリン州での行事は過去最大とされるものの、西部での対独戦勝記念日とは比べるべくもない。

「9月2日が『人民の祝日』かと問われれば、違う」。同州機関紙のセメンチク編集長はこう認め、「新祝日の浸透には時間がかかるかもしれないが、公式メディアとして積極的に記事にするなどで盛り上げている」と語った。

9月2日が近づくにつれ、州立の博物館や図書館は対日戦争勝利に関する特別展示を開始。ユジノサハリンスクの戦争経験者団体は市内の全学校で特別授業を行う。
同団体のチュチンスカヤさん(81)は「南サハリンも南クリル(日本の北方領土)もロシア固有の領土であり、ロシアが軍国主義日本から解放した」と教えるつもりだ。

ロシアが対日戦勝史観を軸に、中国などと日本包囲網を形成する動きもある。ロシアのブヌコフ駐韓国大使は2日の行事で日本による中韓両国の被害を強調。「ロシアは連合国との参戦に関する責務(ヤルタ秘密協定)を果たし、大戦の終結を早めた。ソ連の対日参戦は連合国の結束の強さを示した」と語っている。

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日本の批判封じる戦術 「対日戦勝記念日」法が成立 (2010.7.26 産経新聞)

【モスクワ=遠藤良介】ロシアのメドベージェフ大統領は25日までに、日本が第二次大戦の降伏文書に調印した9月2日を事実上の対日戦勝記念日に定める法改正案に署名し、同法は成立した。

新記念日の正式名称は「第二次大戦終結の日」。消息筋によると、大統領府は議員らの法案提出に先だって記念日名から「対日戦勝」を外すよう政界を指導し、日本の反発を封じる戦術をとった。日本外務省も表だった批判を抑えている。

法改正は「軍の名誉と記念日法」を修正し、9月2日を新たな記念日に加えた。従来の対ドイツ戦勝記念日(5月9日)に加えて対日戦勝記念日を設けるもので、旧ソ連による日ソ中立条約を破っての対日参戦や北方領土の占拠を正当化する狙いがある。有力議員らが今月2日に提出し、下院が7日、上院が14日にスピード可決した。

消息筋は、この法改正が昨年から政界指導部で協議され、大統領府の意向が強く反映されていることを明らかにした。一部観測筋には、日本で昨年、北方領土を「わが国固有の領土」と明記した改正北方領土特措法が成立したことへの報復だとする見方も出ている。

対日戦勝記念日の制定は、北方領土を事実上管轄するサハリン(樺太)州の議員らが1990年代から陳情。1998年には上下両院で法案が可決されたものの、当時のエリツィン大統領が拒否権を発動して廃案にした経緯がある。

日本外交筋は今回の法改正について、「日本の立場を理解してもらうため、あらゆる方面に働きかけた」とし、「新記念日は日本を標的としたものではない」との認識を示している。
他方、露有力議員らは法改正の趣旨を「旧ソ連軍が中国東北部と北朝鮮、南サハリン(樺太)とクリール諸島(日本の北方四島と千島列島)を解放し、第二次大戦の終結を早めた」などと説明。新記念日の制定を機に、ロシアでこうした歪(わい)曲(きょく)された歴史認識が流布され、領土交渉にも悪影響を与えるのは必至だ。

「国の西部では対独戦勝65年を盛大に祝ったのに、東部で何もないのはおかしい」。露政界筋は対日戦勝記念日が制定された理由をこう説明し、ロシアが「戦勝国」の地位を極東でも誇示していく方針を確認した。戦後65年の節目をとらえ、9月2日には極東部で大々的な「対日戦勝」行事が行われる可能性がある。

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