刹那的な気分の中でゴールデンウイークの旅立ちを

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2011年5月1日 バンコクのタニヤ通りの頑張れNIPPONキャンペーン

2011年3月11日に起きた東日本大震災、これは被災地である東北、それに節電を余儀なくされた首都圏に住む多くの日本人の人生観を変えたことだろう。

その1ヵ月後の4月12日、政府は福島第一原発事故の深刻度を、広い範囲で人の健康や環境に影響を及ぼす大量の放射性物質が放出されているとして、国際的な基準に基づく事故の評価を、旧ソ連のチェルノブイリ(Chernobyl)並のレベル7(「国際評価尺度(INES=International Nuclear and Radiological Event Scale)」に基づいて、レベル0から7までの8段階で評価)に引き上げた。(産経新聞-福島原発事故、最悪「レベル7」に引き上げ チェルノブイリ並み

ばかばかしい話だが、それこそ昨年公開されたSF映画「SPACE BATTLESHIP ヤマト」に出てきた、イスカンダル星の「放射能除去装置 コスモクリーナーD」のようなものが発明されなければ、私たち日本人は、被爆リスクと一生涯のお付き合いになりかねないという事実を公式に突きつけられたのだ。

ところで、福島第一原発事故の深刻度がレベル7に引き上げられた2日後、Japan Business Pressに「災害派遣、現場自衛官から上がる悲痛な声-なぜ政府は現場が活動しやすいように手を打たないのか」と題した藤井源太郎氏のコラムが掲載された。

これを読むと、太平洋戦争当時から続く兵站無視、精神第一主義の悪しき伝統を彷彿とさせるものがあり、元自衛官の須賀雅則氏の「自衛隊2500日失望記」に書かれている幹部自衛官OBの天下り企業と癒着した調達システムが、国防どころか災害対策に派遣された部隊すら危うくしていることがよくわかる。

こういった腐敗システムを壊滅してくれるかもしれないという期待が、2009年9月の民主党政権誕生の原動力の一つだったと思うのだが、今の菅内閣にはそんな期待を微塵も抱くことができない。

私は今、非常に危惧していることがある。
福島第一原発の作業員や、そこに派遣されている人たち、要するに東京電力関係者(協力会社社員と呼ばれる下請け作業員)と自衛隊員のケアはされているのだろうか。

被爆のリスクを抱え、長期化する作業、彼らがいくら使命感に燃えていようとも、交代要員もなく、休養日さえ満足に取れなければ、その士気をずっと持続させることなどできるわけがない。

東京電力関係者はまるで囚人が如き、自衛隊員はそこで働いて当たり前の風潮が強い中で、彼らが本音を言えば、溺れた犬を叩くがごとく世論の袋叩きに遭いかねない。

ただでさえ臆病で自己保身に走る防衛省や東京電力の幹部たちは、そういった風潮の中、彼らの苦境を知っても、黙って働けと言わんばかりの冷酷な態度に終始することだろう。

しかし、黙して語らない彼らが精神的に潰えたとき、福島第一原発は名実ともに終わるときだ。

私など、被災地の人たちが人生そのものを破壊されたことに比べればはるかにマシとも言えるが、こうなると、被爆リスクのある首都圏に仕事も家もある現時点で、楽しめるときに楽しもうという気持ちがことさら強くなってきた。

実のところ、昨年9月の欧州旅行の際、香港からの帰国便を海外発券によるチケットにしたことで、今年のゴールデンウイークに旅行へ行くことがほぼ決まっていたが、震災の影響なのか、いつもなら計画段階である程度の高揚感があるのだが、今回は今一つ気分的に盛り上がりに欠けた。

こんなことなら、香港行きのチケットは、手数料なしで変更可能なので、7月か8月に旅行を延期しても全く差し支えなかった。
まして、震災直前の2月末に企画されたワールドインベスターズ香港オフが5月21日、1ヶ月に2回の海外渡航は、無料の特典航空券を使ったとしてもさすがに無謀かと思った。

それでも私はゴールデンウイークの旅行の予定を変更しないで出発することにした。
それは、震災による旅行気分の喪失感よりも刹那的な気分の方が上回ったからにほかならない。

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