死線を乗り越えて

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ニューヨーク・ジョンFケネディ国際空港(New York John F Kennedy International Airport)

年末年始休暇を使ったアメリカ・メキシコ・グアテマラ旅行から去る10日に帰国した。
「明けましておめでとう」という年賀状をもらった人に対して返信ができるような状況でも寒中見舞いを出せるような状況でもなかった。

2010年の旅行のし過ぎに対して、「自重しろ」との天罰が下ったのだろうか、無事というにはほど遠い、命からがらの帰国であった。

2011年1月9日の午前9時(現地時間:日本時間は23時)、ニューヨークのジョン・F・ケネディ空港にいた時点で体調は最悪だった。
それにも増して、出発が12時45分から17時15分へ、4時間半の遅れとアナウンスされ、いっそうの疲労感が増す。

デルタスカイクラブのメンバーシップであると言っても空港で過ごす7時間は辛いものがある。
おまけに前夜のオフ会の二次会で酷い咳が出始め、ホテルでそのまま倒れこんだ私に、ほとんど声が出ないという試練まで神は授けた。

もしかして身体障害者になってしまうのか、という恐怖が私の心を支配し始めた。
どの程度声が出せたかというと恋人同士の会話を耳元で囁いているレベルの音量である。
少しでも煩かったりすれば、全く聞えないレベルであった。

空港では幸か不幸か検診(health check=一昨年の豚インフルエンザの流行期には各空港であった)もなく、おまけに搭乗窓口の日本語が流暢なイケメン青年は、私が即製した「風邪引いたので声が出ません(I have no voice due to catching cold.)」(この英語は正しくないが通じた)メモを見せても、平然と「もうすぐ搭乗です。安心してください」と日本語で言って微笑むだけだった。

その結果、デルタ航空がよく飛行機に乗せてくれたな、という感じで座席に付いたのだが、機内での私は声は出ない、咳を続けて呼吸困難に陥り、生き返って安堵の息をつき、時計を見て、日本の領空に入るのはいつだろう、命が持つのだろうかという感じだった。

突然死というのはこういう状況で起こるのか、あるいは自宅が近づいてホットした瞬間に訪れるのかはわからない。
もとより1月3日のカンクンで、セントロへ行くバスに乗っているとき、意味不明の爆発音みたいなものと同時に大破したガラスの破片を浴びていれば死んでいたのだから同じと言えば同じようなものだった。

機内で生き返るたびに安堵の涙を人知れず流し、自宅についたのは1月11日になっていた。
ニューヨークで突然声を失った私が、そのまま死んでもおかしくない状況だった。

しかし、神は私に生きろといったのかもしれなかった。
病院での検査は、肺炎と喉頭炎だと言われ、点滴を受けた。
そして、入院はしなくとも、自宅で安静にしろと厳命されたのだ。
白血球の数は死線をさまようレベルだったそうだから・・・

今回の旅行は数々のアクシデント、それに反する素敵な旅友達との出会いがあった。
死神とともに帰国した私に今度は何が待っているのだろうか。
これが今年の最悪期になるのだろうか。

コメント

  1. かじ より:

    年末の旅行は、すごいことになっていたのですね。
    全然知らなくて、すみません、驚きました。
    なんとか日本にお帰りになったようで、何よりです。
    静養されて、元気になりましたら、またお会いしたいです。
    今度は、横浜ででも良いですね。

  2. カルロス より:

    >今度は、横浜ででも良いですね。
    是非来てください。
    中華街で食事でもしましょう。

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