第二次世界大戦の史実を知る人がまた1人、この世を去った。
元リトアニア総領事の杉原千畝氏の妻で「六千人の命のビザ」を執筆した幸子さんだ。
夫の千畝氏は、第二次世界大戦の際、外務省の訓令に反して、ユダヤ人が亡命できるようにビザを発給し、ナチス政権下のドイツによる迫害を受けていたおよそ6000人にのぼるユダヤ人を救ったことにより、1985年に日本人で唯一のヤド・バシェム賞(Yad Vashem memorial)を受賞し、「諸国民の中の正義の人(Righteous among the Nations)」に列せられた。
エルサレムにある栄誉の壁(Wall of Honor)には”Sugihara, Sempo”と刻まれており、彼によって救われたユダヤ人たちは「このビザのおかげで私はここに生きている。もしこれを杉原が書いてくれなかったらこの息子たち、孫たちの誰ひとりこの世に存在していない。これは私と私の一族の命であり魂である。」と語ったという。(みやもと小児科-coffee break-奇跡のビザ)
第二次世界大戦中については歴史を語る上でいろいろ言われているが、当時、世界の孤児と言われたユダヤ人に対し、唯一とも言える博愛の情を持って接した日本人がいたことは誇りに思っていいだろう。
そして、先日、新聞の片隅に載った訃報、それは杉原千畝氏と激動の歴史を生き抜いてきた幸子さんが鬼籍に入ったというものだった。
私は日系メディアの英語版のウェブには掲載がなかったようなので、おせっかいと思いながら、それをJewish Virtual Libraryの管理人のMitchell G. Bard, Ph.D.に伝えた。
享年94歳、合掌。
杉原幸子さん死去(外交官・故杉原千畝氏の妻) (2008.10.11 時事通信)
杉原幸子さん(すぎはら・ゆきこ=外交官・故杉原千畝氏の妻)8日午前1時、心筋こうそくのため神奈川県鎌倉市の病院で死去、94歳。岩手県出身。自宅は神奈川県藤沢市獺郷1591の7。お別れ会は11月9日午後1時から東京都港区南青山2の33の20の青山葬儀所で。喪主は次男千暁(ちあき)さんと四男伸生(のぶき)さん。
千畝氏は第二次大戦中、ナチス・ドイツの迫害から逃れた約6000人のユダヤ人難民に日本通過を認めるビザ(査証)を発給。ナチスの虐殺からユダヤ人を救ったオスカー・シンドラーにちなんで「日本のシンドラー」と呼ばれた。幸子さんは、千畝氏の活動を紹介した手記「六千人の命のビザ」を執筆、出版した。
コメント