緊縮財政の名の下で削減される経費の中で、一見すると誰の利害にも関係ないと思われているのか、図書館の予算が減額されているということがニュースになることは極めて少ない。
しかし、良書を読むというのが知性を育む上で重要なことだと認識している人は少なくないのだ。
そういった意味で最近の図書館予算の減額は寂しいものである。
確かに、本の著者からすれば新刊本が図書館で買われるということは売れ行きに影響することかもしれないが、街の本屋は活字離れと心ない万引きの被害で次々と廃業に追い込まれているのだ。
地方によっては公立図書館ぐらいしか本が置いてあるところがないというのも珍しくはないだろう。
また、本を読まないことによって、簡単な言葉の意味もわからない人や、文章を読むことすら面倒だ、と言って逆切れする人が増えている。
せめて次代を担う子供たちの多くはそうでないように願いたい。
そのためにも街の本屋が消え行く今、図書館という知的インフラを維持するための努力を惜しまないで欲しい。
しかしながら、知人曰く、公立図書館では、最近は本を借りたまま返しに来ない人ばかりでなく、雑誌などは中の記事を切り抜きしたり、書き込みしたりすることなどザラで、万引きする者すら絶えないという。
その損害額は年間で数百万単位に上ることもあるという。
これが予算の削減に繋がっているかもしれないとも言う。
かといってセキュリティシステムを導入するにも金がないという二重苦にあえいでいるらしい。
心ない一部の不心得者のためにほかの人が迷惑しているのだ。
私が思うに、経費削減で本の購入費が減っていくというなら、マスコミやネットで盛んにPRされているようなベストセラー本は、図書館になど置かなくてもいいのだ。
利用者(納税者)の意思としては、そういった本のリクエストが多くなるだろうが、ベストセラー本が必ずしも良書とは限らないし、移り気な日本人の性格からするとブームが去った後のそういった本の運命は押して知るべしである。
また、こういった本は、アマゾンや楽天などのネット販売で新刊を購入するのも、ブックオフなどの中古書店やオークションで購入するのも流通度が高いので、入手しやすいのだ。
むしろそういったところで入手しにくい専門誌や硬派のものなど、潜在的な良書の発掘のために予算を使ってもらいたいものだ。
最後にアメリカでは図書館にインターネット端末を置いて、パソコンが買えないような低所得者層のデジタルデバイド(情報間格差)の解消に役立てていると聞いた。
そこではボランティアがインストラクターとしてそういった人に簡単なレクチャーをしたりしているらしい。
日本の図書館もそういったことができないだろうか。
図書館の予算が減っていく (2005.5.17 朝日新聞夕刊)
三重県立図書館が財政難から先月、雑誌142誌、新聞11紙の購読をやめた。専門誌から「アンアン」「週刊ベースポール」「AERA」まで軒並みだ。
硬派の論壇誌や語学の学習誌も中止した。雑誌は4割カットとなり、空き棚がずらり。
県の緊縮財政で、今年度の購入費は約2600方円。4年前の4分の1だ。本の購入も大幅に減らしたが、ついに継続性が必要な雑誌、新聞にも手をつけた。中小の市立図書館並みだ。ホールや生涯学習施設なども兼ね備え、10余年前、430億円かけた総合文化センターの名が泣く。
三重だけではない。都道府県立の全国63館の昨年度の本や雑誌などの購入費は、前年より1億円減って35億円だ。日本図書館協会によると、10万人あたりの図書館数は先進7カ国で平均6.4館だが、日本は最低の2.1館。
市町村の半数は図書館がなく、あっても予算はもっと厳しい。そこを補うべき県立の予算の削減は痛い。そんな中で、9都府県は1億円を超える予算を維持した。
とりわけ鳥取県は県民1人あたり185円の予算で全国1位、平均の6倍だ。
「地方は書店で手に取ることが難しい」として、児童書は全部買うなど徹底している。市町村立図書館の依頼で本を貸し出すことも多く、東京都内の区立図書館からも要請がある。
片山善博知事が「知的立県を目指す」として力を入れてきた結果だ。
結局はトップの姿勢ということか。いくら懐がさみしくても本代くらい、守りたいものだ。(伊藤哲章)
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