マスコミの怠慢がまともな政治家を潰す

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耳を塞ぐ女性

1995年の東京都知事選挙で無党派ブームの先駆けとなった前参議院議員の青島幸男氏が1,700,993票を得て当選した。

実はこのときのマスコミの論調は既成政党(自民・社会・自由連合・公明推薦、さきがけ支持)の推す石原信雄元官房副長官が信任(得票 1,235,498)を受けるかどうかだった。


しかし、落選した候補者の中には米メリルリンチ証券や出雲市長として実績をあげた岩國哲人氏(得票 824,385)や、マッキンゼーやUCLAで実績を上げた大前研一氏(得票 422,609)も入っていたが、得票総数は2人合わせても次点の石原信雄氏をわずかに上回る程度だった。

当時、一般の人が得られる情報は新聞とテレビ、書籍で今のようにインターネットで情報が瞬時に伝わるという時代ではなかった。
私に言わせればいくら政党不信がピークに達していた時代とはいえ、まともな情報が市民に伝えられていれば岩國氏や大前氏の得票はもっと伸びていて然るべきだった。

これについては、大前氏が「マスコミは報道の公平」という建前をたてに満足な取材活動すらしてなかったと書いている。

つまり、知名度の低い候補にしてみれば、「公平な報道」をたてにされれば、知名度の点において逆転をすることは不可能になってしまうということだ。
今ではこそ候補者名がわかればインターネットで情報を検索できるが、それでも政治家のサイトを見る人はあまり多くないと言われる。

結局のところ、無党派対策と言っては元プロスポーツ選手やタレントを擁立する既成政党は、こういうことが一番わかっているからこそ飽きもせずに同じことを繰り返すのである。

これは有権者が政治家からバカにされてるのか、政治家がマスコミの知的レベルをバカにしてるのかわからないが、私は両方だと思っている。

つまり、世界各国のマスコミは政府系とか左派系とかいう色分けがされることがたびたびあるが、日本には記者クラブ(これは役所の経費、つまり国民の税金で運営されているがマスコミはそんなことをほとんど意識すらしないという)に巣食う役所の広報紙しか存在しないので、民主主義の一番の根幹をなす選挙というものに対してさえ、まともな情報を市民に伝えるという報道姿勢がなく、体制側から「○○に対する偏向報道の嫌いがある」などと恫喝されれば怯んで何もしない、ということを平気でやるのだ。

話を先日の参議院選挙に戻そう。
実は私が注目していた(比例選で投票もした)候補者に中村敦夫氏がいた。

彼は政府がやっている火事場泥棒的な施策の追及に関しては謀殺された石井紘基前民主党衆議院議員(記事:毎日新聞Guardian Unlimited)並みの活躍をしていることを週刊誌報道で知っていたからだ。

しかし、そんなことは一般のマスコミは全くといっていいほど伝えなかった。
伝えたのは、参議院選挙前の「反小泉キャンペーン」のパロディが気に入らないと自民党が吼えたということだけだった。

こんなことは欧米先進国では当然で、吼える奴がおかしいと中村氏は一蹴したが、これでは一般の人は彼を従来の「何でも反対だけの左派系候補」と同一視するかもしれなかった。

そして、彼は落選した。
ベンジャミン・フルフォード(Benjamin Fulford)はその著書「泥棒国家の完成」で、民主党は「なぜ石井紘基氏の遺志(政府の腐敗の追及)を継がないのだ」と論じていた。

おそらく中村敦夫氏はそういう民主党の欺瞞を見破っていたからこそ、独自路線を走ったのだろう。
結果的に中村敦夫氏は国会議員でなくなり、国政調査権を行使する権限を失った。

大前研一氏の著書「日本の真実」にある「鉄のオクタゴン(八角形)」に逆らう人がこれでまたいなくなった。
今、政府の方針に異を唱える人は様々な方法で政策形成の舞台から追放されているという。(2003年7月28日 「内部告発」)
果たして10年後、日本に真の意味での「言論の自由」は存在するのだろうか?

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「みどりの会議」が解散決定 (2004.7.23 産経新聞)

環境政党「みどりの会議」は23日、代表委員の俳優、中村敦夫氏が参院選に落選し政界引退を表明したのを受け、政治団体としては解散すると発表した。

同会議は、1998年に東京選挙区から無所属で当選した中村氏が2002年1月に設立。環境問題の重要性を訴え、今回の参院選では中村氏はじめ10人を擁立したが、議席を確保できなかった。

今後は新たな活動を話し合う「みどりのテーブル」を設け、各地のローカルパーティー(地域政党)や環境運動グループなどと連携していくという。

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