日本の国民はピーター・タスカ氏が言うように○○危機が年中行事化してしまって、感覚が麻痺してしまっているのかもしれない。(Newsweek Japan 2002.4.10 PDF - 3月危機に見た魔女狩り体質)
たぶん1998年にこういうことが起きたら大騒ぎになっていただろう。
あのときは衝撃的な山一證券の倒産のあとだったし、日本の国民もどこの金融機関が健全か、ということを真剣に考えた時期でもあった。
ペイオフ解禁が議論されていた当時、多くの人たちは思ったはずだ。
「私には銀行に資産が1000万円もないから関係ない、ああいうのは企業や金持ちの問題だ!1000万円までは潰れても返ってくるから関係ない」と・・・
本当にそう思うか?
私は今月、海外でさえ掏られたことのない財布を掏られ、その中にメインバンクのキャッシュカードを入れていたことからしばらくの間、といってもわずか1週間くらいだったが、手持ちの現金が不足してどう資金繰りしていいか考えなければならなかった。
幸いにしてインターネットによる送金はできたので、ツールを駆使して滅多に使ってなかった別の金融機関のキャッシュカードを使って事なきを得たが私にはいい教訓だった。
で、何を言いたいか?
資産の分散というのはこういうリスクに対処する意味もあるのだ。
ピッキング強盗などで通帳を盗まれたときなど、金融機関によっては無責任にもほとんどノーチェックで預金を払い出すなんてことで裁判になっているケースもある。(記事)
ちなみに日本では銀行を相手どった裁判では、日本の裁判所は銀行の味方であるかのように、銀行の勝訴率が世界的に見ても異様に高いと、日本がアルゼンチン・タンゴを踊る日の著者、ベンジャミン・フルフォードは言う。
また、仮に銀行がつぶれてもお金が返ってくると言っても、肝心なのは「いつまでに」とは誰も明言してないのだ。
りそなが破綻状態にあってあえて北海道拓殖銀行などのように潰さなかったのは、預金保険機構自体に金が十分にないのではと訝らざるを得ない。
つまり、潰したら全額返すのに何年かかるかわからない状態なのではないか?と思うのだ。
そうなると、どうなるか?
「政府保証債でお支払いします。」とかなる日も遠くない。
国債が信用を失いつつある中で、潰れた銀行の預金を低格付けの国債で払い戻す。
そういう詐欺みたいな行為が平然と行われる日はそう遠くない。
そう、最後に言っておこう。
実質国有化されたりそな銀行、そしてその前身である大和銀行の支店は、衆参両院の中にもある。
日本の都市銀行の中でもこの銀行だけだ。
基本的に大企業の中や市役所とかの中に支店がある銀行はそこの公金取り扱い銀行の中でも最も密接につながっているところだ。
つまり、りそなを潰して困る人間が衆参両院には多いということか?
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りそな救済成功しても-金融システム改革「道半ば」(産経新聞 2003.5.28)「みずほの運命は日本の救済措置にかかっているかもしれない」との見出しで、米ウォールストリート・ジャーナル紙(Wall Street Journal)がみずほフィナンシャル・グループの財政状況悪化を報じ、救済措置を示唆したのは5月8日付だが、同月17日、政府に公的資金投入の支援を求め、事実上国有化されたのは、りそなホールディングスだった。
これを報じたインターナショナル・ヘラルド・トリビューン紙(International Herald Tribune)19日付「東京(政府)、銀行防衛を急いで、不安を増大」は、小泉首相の(金融システムの安定化や預金者保護などの)約束にもかかわらず、専門家の多くは過去四年で初めてという大手銀行救済が金融業界の苦悩の終わりなのか、より悪い何かの始まりなのかいぶかっていると小泉首相の言葉を額面通りには受け止めていない。
大手銀行の三月期決算は、この不信をさらに高めたといえそうだ。
英フィナンシャル・タイムズ(Financial Times/Japanese Banking Crisis)紙社説は珍しく19、20日と二日続けて、りそな問題を取り上げている。19日付は、りそなの問題の根は銀行の処理能力を超えるスピードで不良債権を増大させているデフレにあるとして、財務省も日銀もみな”デフレ戦士”を主張しているが、日本はこの戦いに負けていると厳しい。
その上で、日本が陥ったデフレの罠を何としても避けることが、世界の先進国経済が日本から学ぶ真の教訓としている。欧米でもデフレヘの懸念が生じているからだ。
一方、20日付社説は、りそなの事態を過小評価すべきではない。次なる段階は、小泉純一郎首相が改革と銀行部門の健全性回復に本気かどうかを示すだろうとして、りそな問題は脆弱な日本の銀行に規律をもたらす好機であり、政府はその機会を逸してはならないとしている。
ウォールストリート・ジャーナル紙20日付も、りそなに二つの側面を見ている。
つまり、「百七十億ドルの救済策の良いニュースは、金融機関とその融賢に対する厳しい審査という新たな強行策が結果を生み出し始めていることだ。
悪いニュースは、そうした強行策が日本が真の説明責任をとることを意味するものではないということだ。」同社説は失敗の代償を自ら払わない、けそなの経営者や株主を一貫して批判する。
これに対して、職を賭けて日本を正しい方向へ向けているのは金融・経済財政担当相の竹中平蔵であると書く。
以前に紹介したが、同紙に限らず外国メディアの竹中氏の評価は概して高いのである。やっと始まったばかりの救済策に、失敗の烙印を押すのは早すぎる。本当の試練は、より抜本的な改革が行われるかどうかだろう。そして、それらは経営者や株主が自分たちの失敗の代償を払うことから始めなけねばならないというのが社説の結びである。
ところで日本の長期低迷に対する外国メディアの疑問の一つは、にもかかわらず日本では、パニックや取り付け騒ぎのたぐいが起きていないことの不思議である。米ニューヨーク・タイムズ(New York Times)20日付はこう書いている。
多くの国では、もし第五位の銀行が政府に救済を求めたら預金者は預金引き出しに殺到し、株価は下落し、お金を持つだれもが「次はどの銀行か」と聞くだろう。
しかし明らかに日本では違う。りそなの公的資金投入のニュースはさざ波も立たなかった。
理由は簡単。政府が預金者と借り手が損をしないよう準備するからだ>が、同紙によれば、これは決して褒められたことではない。なぜなら現状維持という政府の戦略はどんな救済措置よりも高くつき、弱者保護の繰り返しはモラル・ハザード(倫理上の危険)を生む。そして<経営者は政府が結局は救済してくれるだろうと知っているので、失敗に歯止めがない。
消費者も、預金がどんな場合も保護されるため、どの機関が強靭だとか問題銀行を避けるとかの判断の労を惜しむからだ。
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