新元号は「令和」、新時代に春はやってくるのか

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新元号を発表する菅義偉官房長官 出典:アフロ

昨日、菅義偉官房長官が、平成に続く新元号を「令和」とすることを発表した。
これで、5月1日からは「令和元年」として新しい時代がスタートするわけだ。

その後で行われた安倍晋三内閣総理大臣の記者会見(英語版:On the New Era Name “Reiwa”)で、「これは『万葉集』にある『初春の令月にして 気淑(よ)く風和(やわら)ぎ 梅は鏡前の粉(こ)を披(ひら)き 蘭(らん)は珮後(はいご)の香を薫(かおら)す』との文言から引用したものであります。そして、この『令和』には、人々が美しく心を寄せ合う中で文化が生まれ育つという意味が込められております。」と述べたことで、一躍、万葉集が脚光を浴びている。

私は、この首相の記者会見の動画を帰宅後に見たのだが、妙に気になったことがあった。

「厳しい寒さの後に春の訪れを告げ、見事に咲き誇る梅の花のように、一人一人の日本人が明日への希望とともに、それぞれの花を大きく咲かせることができる、そうした日本でありたいとの願いを込め、『令和』に決定いたしました。」

これは、あたかも今の季節が春に向かっているので、それに触れているようにも思えるが、私は何の予備知識もなく、初めて聞いたときに背筋が凍るような思いがしたのだ。

そうした日本でありたい」というのは、「現在はそうではない」ことを安倍首相、台本を書いた官僚のトップが公式に認めたと私は感じたからだ。

違うという方も多くおられるだろう。
何で素直に取らないんだと・・・

ここで私は、轟源次郎として出版した第3作目「定年ぼっちを防ぐための処方箋」でも触れた、佐高信氏の「新版 KKニッポン就職事情」に書かれていた1989年(平成元年)の日経ビジネスの記事をここでも出したいと思う。

実は、これを引用するのは、初めてでなく、今から17年も前に掲載した「普通の会社に勤める普通の人々」というエッセイでも書いていたのを思い出したのだ。

さて、この佐高氏の著書で引用された部分には、1989年(平成元年)当時のサラリーマンが「良い会社」だと思っていた基準が書かれていた。
正直言って、私はこれを2000年代になってから読んだとき、旅行三昧になれた職場に転職していたことを神に感謝した。

  1. 専門能力:プロとして通用する能力が開発できる。
  2. 評価内容の公開:社内での自分の実績がわかる。
  3. サービス残業:時間外労働には対価が支払われる。
  4. 自発性の尊重:社員の希望をかなえ、納得ずくで仕事をさせる。
  5. 休日:大切な休みを社用で潰さない。
  6. 社会活動:市民として積極的な参加を奨励する。
  7. 雇用契約:社員を人間として尊重する。
  8. 意思疎通:自由闊達な社内コミュニケーションがある。
  9. 企業目的:どんな会社を目指すのかが明確である。
  10. 上下関係:上司への全人格的従属をせずにすむ。

これを見て、現在(2019年/平成31年)はいかがだろうか。
私は、訪問者の皆さんに「何言っているんだ、カルロス、30年前はそうだったかもしれないが、今では、これを羨ましがっているのは一部のブラック企業のサラリーマンだけだよ。これらのことは、良い会社ではなく、今や当然なんだ!」と口々に言って欲しいと思っている。

もし、そうではなかったら?
ぞっとすることに、平成の30年間、日本の経営者の意識は全く変わっていないことになる。
これで日本の会社が世界に伍して成長できると思うか。
時代が平成から令和になったとしても何が変わるのだろうか。

2019年統一地方選挙投票証明書

私は、新元号が「令和」になるということで、インターネット上で繰り広げられたお祭り騒ぎの中、地元の自治体から送られてきた統一地方選挙の投票整理券(期日前投票の請求書)を鞄に入れていたことを思い出した。

どうせ誰に入れてもとは思ったものの、棄権は自分のポリシーに反するのと、有権者としての仕事をすることは重要なことなので、帰宅前に投票することにした。

私がこのブログを書き始めて最初に掲載した記事は、2003年4月1日付の「選挙は国民ができる数少ない抗議の意思表示だ」だった。
それから16年、日本の政治は果たして良くなったのだろうか。

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