越境せよ!日本で絶望するより国境のない世界で稼げ

この記事は約6分で読めます。

越境せよ! 日本で絶望するより国境のない世界で稼げ
私の友人であるワールドインベスターズの石田さんの著書だ。

この中で印象に残った言葉の一つは、「夢はたくさんの人に話せ-人に語り始めた瞬間、夢は実現に向かって動き始める。」というものだ。

彼は、オフ会やイベントで会うと、「今度○○というのをやりたいんだよね。」と周囲の人に語りかけていることが多い。
実現の可能性はともかく、彼は将来、○○したいのだ、○○になりたいのだ、ということを常に自分の心の中で念じているのだと思う。

これは物凄く重要なことだと私は思っている。
私自身、このウェブサイトを立ち上げたとき、プロフィールのページの最後にこう書き込んだ。
「50代前半で退職をして南の島でのんびりと・・・」

弊サイトを訪問し、これを読んだ人も、そして書いた私自身でさえも、実現の可能性はあまりない、単なる憧れであり、夢に過ぎないと思っていた。
要するに、サラリーマンなら誰もが抱く夢、というものだったからだ。

ところが、人生の転機は突然にやってきた。
そのときに書いたコラムが「Toward a dream-come-true『経済的自由への扉は開かれた』」だ。

「夢はたくさんの人に話せ-人に語り始めた瞬間、夢は実現に向かって動き始める。」という石田さんの言葉は真理に思える。

なぜなら、自分の心の中で常に念じ続けるということは、どんな些細なチャンスも逃してはなるまい、という研ぎ澄まされたアンテナを張り巡らせることにほかならないからだ。

50代でサラリーマンを辞める、という目標を持たなければ、そのために何をすればいいかなどと考えないし、行動も起こさなかったに違いないからだ。
再度言っておくが、私が数年後にサラリーマンを辞めるというのは夢ではなく、実現までのカウントダウンに入ったということだ。

この後、私は香港にそれこそ毎月のように渡航した。
HSBC香港のスタッフから「今度はいつ来るのだ?」と聞かれ続けたこともある。
おかげで私はHSBC香港の活用法について、マニュアル本が出版できるほどに知識が深まった。(笑)

また、職場の同僚や後輩から「そんなに香港へ何しに行っているの?」と聞かれたとき、いつもなら笑って当たり障りのないことを言っていた私が思わずこう答えたことがある。
「自分の未来のために行っている」と・・・

おそらく、ドバイやサウジアラビア、その他のアジア、中東、アフリカの新興国に渡航し続けている石田さんも同じような気持ちだろう。
彼は海外の訪問先での些細な出会いとチャンスが自分の大きな未来の飛躍に繋がることを体感しているからだ。

「考えずに行動しろ-考えることから始めていては、いまの時代、動きに乗り遅れてしまう。これからは、走りながら考える、走りながら対応するというスタンスが必要だ。」

石田さんが書いたこの言葉で思い出したのは、去る2月16日に行われた「ダイワ・トルコフェスタ2013」の中で講演したトルコ航空広報宣伝部のジェム・ハサン・アルデミル(Cem Hasan Aldemir)氏の「当社は、就航している国の数で世界第1位の航空会社となっていて、現在、90ヶ国に就航している。当社が新規に就航する国を決めるにあたって調査に要する期間は平均で3ヶ月、他の航空会社が1年程度かけているのに比べて格段に短い。しかし、その分、リスクも高く、就航してすぐに撤退することもある。」と言っていたことだ。(参考:2012年11月16日-Business Wire-トルコ航空が世界で最も多くの国へ就航する航空会社に

つまり、事業拡大の可能性があれば即座に行動し、見込み違いがわかれば即座に撤退するというスタンスだ。
これが航空業界全体が苦境にあえぐなか、トルコ航空が好業績を記録している一つの要因でもあるのかもしれない。

最後に「越境せよ!日本で絶望するより国境のない世界で稼げ」というのを地で行ったような人を紹介しよう。

俺のたこ焼きが食えんのか!」の著者であるスパン王子だ。

初めてのタイへの一人旅(2010年12月23日-おれたこ日記-人生の転機)をきっかけとして、日本を出て香港で働くまでに至った彼の人生は、日本で絶望しつつある若者に一筋の光明を与えるものとなるかもしれない。

まして単純労働で毎日が無為に過ぎているような人は、どこかで人生の転機を掴み取らない限り浮かび上がることはないだろう。(2010年9月14日-Chikirinの日記-新)4つの労働者階級

彼のブログは正直言って、「18禁、女人禁制、セクハラ上等」という感じの日記なので、女性や生真面目な人は不快に思うかもしれない。
しかし、彼のコラムは単なるエロ日記だけではなく、その中でキラリと光るものがあることも事実だ。

その中で私が素晴らしいと思った言葉の一つは、「俺の人生は一度きりだという当たり前の事に気付き、その人生をいかに自分の好きなように生きるかを考え始めた俺は、一つの簡単な結論にたどり着いた。どんな事でも、『やる』『やらない』の選択肢であれば、まずやってみるというのが正解だと思い始めた。」(2011年4月5日-おれたこ日記-初めてのタイ旅行-後半編その1

ITのエンジニアとして長時間労働が当たり前の会社に勤め、完全にワーカホリック状態だった(2011年7月5日-初めてのタイ旅行-後半編その32)彼が、一週間の休暇をもらったことでタイへ一人旅をした。

もし、このときに彼が英語ができない、とか海外が怖いとか、疲れたと言って、自宅でぐーたらとして携帯ゲームをして過ごしていたら人生の転機はなかったわけである。

彼は今、CCM香港という会社で働いている(2010年6月1日-おれたこ日記-「HSBCのジョンで~す」と「HSBCお助け支店長」)ようだが、日記から推測するに英語や中国語はそれほど堪能というわけではなさようだ。
それでも香港で職を得られ、楽しげに人生を謳歌していることに着目しないといけないだろう。

海外に活路を見出そうと勇気を持って出た日本企業のオーナーの中には、言葉はそれほどできなくとも経理のような重要な任務は日本人にやって欲しいという人もいるだろう。

そう考えれば外国語に堪能でなくとも海外で職を得るということは、思っていたより簡単にできる時代になっているのかもしれないのだ。
もちろん、完全な外資系企業だと英語と中国語の普通話ができないとダメなところも多いが、海外では未だに日本人が敬意を持たれていることは多くの人が言っている。

全く言葉ができないのでは海外で仕事を得るのは厳しいかもしれないが、それでも何とか道を切り拓きたいと思う人の前には幸運が舞い降りるものだ。

とりあえず、海外での就職に興味があればMPGワークアジアの説明会などに参加してみるといいだろう。
私は今回のコラムの題を何と書こうかと悩んでいた。
最初は「暴言上等!就活なんてやめちまえ!」という題にしようかと思ったくらいだ。

今や、苦労して就活して、やっとの思いで日本の老舗(年功序列)企業や官公庁に入ったところで、40代を迎える頃には絶望の淵に立たされるだけだ。(2011年8月7日-Chikirinの日記-将来有望な若者の将来価値を毀損する、大きなワナ

日本の典型的な年功序列企業は、10数年後にネックとなるバブル時代に採用した中年社員の処遇と彼らの65歳までの継続雇用が大きな課題となっている。(2013年2月8日-Joe’s Labo-追い出し部屋は永遠に不滅です

そんなところに今から入社して未来があると思うか。
公務員だったらマシなのでは?
そう思うなら試験を受けて入ってみるといいだろう。

民間企業が稼げなくなるのに公務員の待遇が良くなるかどうか考えてみることだ。(2011年3月25日-Chikirinの日記-年功下落の時代へ!

私も石田さんではないが再度声を大にして言おう。
「越境せよ!日本で絶望するより国境のない世界で稼げ」

コメント

タイトルとURLをコピーしました