ワークライフバランス、太平洋戦争の敗戦から65年目に思うこと

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バハマ・サドルバック・キー(Saddleback Cay)

1945年8月15日の太平洋戦争の敗戦から65年、日本はこの間に驚異的な経済成長を遂げ、世界中はそれを「奇跡」と評した。

物質的には確かに豊かになった。
特に20世紀後半の日本には、元マレーシア首相、マハティール・モハマド(Mahathir Mohamad)氏をして「もし、日本なかりせば-原文:Towards a prosperous future (PDF)」と言わしめたものが確かに存在した。

ところで、この時代の日本人は実生活面でも本当に幸福だったのだろうか。
事実、バブル景気最高潮の1980年代後半に生まれた「過労死」という言葉はKaroshi (death from overwork)として世界中に認知されるほどになったことを思えば、そういう疑問が生じても不思議でも何でもない。

私に言わせれば、この当時の日本人はただ単にカネを物差しとして「幸せ」だったように振舞っていただけではないのだろうか。

確かにカネはないよりあった方がいい。
発展途上国の国民が物質的に豊かになるためにガムシャラに働くのは正しいことだ。

しかし、ある程度の豊かさを享受できるようになったならば、ギアチェンジをするべきだと思う。
日本人はそのギアチェンジをしなかったばかりに今の不幸を招いているような気がしてならない。

今や私の人生のメンターとも呼びたいくらいの浅田次郎氏は、その著書「カッシーノ1!」「カッシーノ2!」の中で、「労働の正当な対価が、賃金ばかりであるはずはない。労働に見合うだけの遊びをせねば、人間は幸福の所在を死ぬまで確認することができない。個々の差こそあれ、ひとりひとりが把握するそうした幸福の実感の集合が、文化国家の実力である。」と書いている。

「カネ余り」と言われた1980年代に、個々の人間が経済成長の果実としての「真の幸福」を追求していれば、今のような無様な状態にはなっていなかったのではなかろうか。

私は、あの当時、「過労死」させるまで働かせるとは何事だ、「カネ余り」なら欧米人のように休めるようにしろ、と要求した労働組合はなかったように記憶している。

そして、時代は変わり、「失われた20年」とまで言われるようになった今、カネを物差しとして幸福度を測っていた日本人は「一億総不幸」の状態に陥っている。

菅直人首相が就任会見で「最小不幸社会の実現を目指す」と言ったことは、このことを如実に表している。

私は同年代、あるいは先輩世代のサラリーマンが何気なく使う「定年になったら○○したい」という言葉を聞くと、私はなぜ「定年にならないとできないのか」と疑問に思う。
やりたければ今やればいいではないか、と・・・

浅田氏はその著書の中で「労働が美徳であると同時に、労働の対価としての遊びも美徳である。むろんこの点はアメリカに限らずヨーロッパの先進国でも同様で、もしこの世界常識に異を唱えるとすれば、古くさい共産主義か、戒律でがんじがらめの宗教国家のほかにはあるまい。」と書いている。

ちなみに、これを読んだ人は相当の数に上ったと浅田氏は書いているが、もし、そうならば、もう一度読み返し、そして少しでも彼の言わんとしていることを実践してみたらいかがだろうか。

休暇なんか取れるかと言われるなら伊沢次男の著書である「会社をとるか、自分をとるか」を、 先立つものがない、と言われるなら私の書いた「キャピタル・ゲイン(capital gains)-1990年代後半のアメリカ人のように暮らそうぜ!」を参考にするといいだろう。

時代が古すぎて参考にならないって?
ならないなら自分自身で考えたらいいだろう。
それが幸福な人生を送るために一番必要なことだからだ。

先日のシンガポール・デサル(マレーシア)旅行で出会ったシンガポール人の証券トレーダー、エリック・タン(Eric Tan)さんは私に聞いた。
「私はかつて三井住友銀行で働いていた。日本人は皆忙しかった。何で日本人だけ忙しいのでしょうか。カルロスさん(もちろんここは私の本名)も忙しいのですか。」

私はそれに対する明確な答えを英語で言うことはできなかった。
言えたのは私が忙しいかという質問に対する答えだけだった。(爆)

ここで思い出したのは1993年当時、ジャカルタへ赴任していた某銀行勤務の友人のことだった。
彼も当時、欧米人は陽の高いうちに帰ってプールで泳いだり、テニスをしたりしているが、日本人だけは職場で残業していると言っていた。

ちなみに、エリックさんは年に何回か休暇を取り、いろいろなところへ行くと言っていて、日本にも1週間ほど遊びに来たことがあるという。
なぜ、シンガポール人にできることが日本人にはできないのだろうか。

有給休暇を使い切る労働者の割合」などの休暇やレジャーに関する調査が出るたびに日本が万年最下位であることを不思議に思う人はいないのだろうか。
これに対する答えは海藤彬光氏の書いた「なぜ日本の外交官は世界からバカにされるのか」の中にヒントがある。

世界に嘲笑される外交として、「国際会議における日本代表団の作業室はいつも世界の嘲笑の的である。フランス人外交官は、なぜ日本代表団の部屋だけいつも徹夜で作業しているのか、そんなに忙しいはずはないだろう、と。

ドイツ人外交官は、日本人が勤勉だとは思わない。仕事を能率的にこなせない人間を勤勉とは言わない。日本人は単に忙しがっていたいだけなのだろう。

アジア・アフリカ・南米の外交官は、日本の病的なまでの神経質さを、最終文書でもないのに誤字脱字を何であれほど気にするのか、まったくうるさくて仕方がない。日本では誤字脱字に罰金でもあるのか。」と書かれている。

海藤氏は、なぜ同じ仕事をしているのに日本人だけが能率的に仕事を進められないのか、と結んでいるが、このことに各人が答えを見出せない限り、浅田氏の言う「幸福を希求しつつ幸福の所在を確認できずに一生をおえるという、きわめて不幸な国民像」を払拭することはできないだろう。

少なくとも「絶対に野村證券で口座を作るな~証券リテールの真実~」というブログに登場する上司は私に言わせれば、世界で最も不幸な100人のビジネスマンに入れたいくらいの人物だ。

多くの読者の目は著者である元野村證券マンに注がれると思うが、私は違う視点でものを見た。

8月3日の日記に、GW前日に上司から「GWは全て外務員の勉強に費やせ。4連休中の2日間、ランダムでお前の家に訪問する。そのときに家で勉強していなければ殺すからな。」と言われていた、という一節がある。

せっかくの休日を部下に対する嫌がらせのために半分も費やそうとするこの上司はいったい何が楽しくて生きているのだろうか。
もしかして日本のサラリーマン社会は彼のような人物が至るところにいる「最大不幸社会」なのだろうか。

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カッシーノ2!アフリカ・ラスベガス編 by 浅田次郎

■ラマダーンのカジノへ

われわれ日本人は、労働を美徳とし、遊びを罪悪と決めつけて今日の国家を造り上げた。いつの世にも親や教師が言っていた「よく遊び、よく学べ」は空疎なお題目で、実は誰しもが「よく学び、よく働け」と自らを鞭打って生きてきた。その結果、幸福を希求しつつ幸福の所在を確認できずに一生をおえるという、きわめて不幸な国民像を現出せしめた。

アイデンティティが「労働」であるから、職を奪われれば死ぬのである。死なぬまでも、倒産や失業や左遷や仕事上のミスが、おのれの存在意義をたちまち殆(な)くしてしまうのである。

年間自殺者三万人の根源的原因を日本人は知らぬが、その国民性を客観的に見知っている外国人の識者は、正確に理解しているであろう。われわれはいまだに、明治の富国強兵策に崇られており、その結果としての戦と敗北の記憶に、今も世代を超えて縛められている。

富国強兵の結果の敗戦亡国と、高度成長の結果の不況亡国はほとんど同じで、要するにわれわれは、どのような構造的改革にも増して、明治以来の意識改革をなさねば、おそらくこの先も形のちがう同じような失敗をくり返し続けるであろうと思われる。

この現実を違う角度から眺めると、われわれは学ぶべきことをアメリカから学ばず、学ぶべきでないことばかりを学び続けてきた、とも言えるであろう。

アメリカの国民生活では、労働が美徳であると同時に、労働の対価としての遊びも美徳である。
むろんこの点はアメリカに限らずヨーロッパの先進国でも同様で、もしこの世界常識に異を唱えるとすれば、古くさい共産主義か、戒律でがんじがらめの宗教国家のほかにはあるまい。

私は「よく学び、よく遊べ」の訓えを、まさかお題目だとは思わずに、そのまま素直に実行して成長した。ために当然のごとく社会ではドロップアウトしてしまったのだが、幸い芸が身を助けるかたちで、小説家になることができた。

労働の正当な対価が、賃金ばかりであるはずはない。労働に見合うだけの遊びをせねば、人間は幸福の所在を死ぬまで確認することができない。個々の差こそあれ、ひとりひとりが把握するそうした幸福の実感の集合が、文化国家の実力である。

ところが、若い世代の人々はあんがい遊び上手で、それぞれが幸福の確認をきちんとしている。
今の若者がそうなのか、いつの時代でもそういうものなのかは問題となるところであるが、いずれにせよ未来のためには、遊び下手なわれらオヤジ世代が自ら意識改革をなす必要があろうと私は思った。

■聖地のリゾート・カジノ

大観光国家エジプトがその威信をかけたスーパー・リゾート「シャルム・エル・シェイク」は、モーセの行く手に割れた紅海のほとりである。シナイ山の赤い山肌が、紅海に面して途切れる砂漠ともビーチともつかぬ広大な砂地に、巨大なリゾート・ホテルが建ち並んでいた。海と空と砂のほかには、何もない。シャルム・エル・シェイクは、都会人の渇望する 「無為」と「非日常」のリゾートである。

つねづね思うのだが、どうして日本にはこうした根元的なコンセプトを持ったリゾートができないのであろう。「無為」と「非日常」が最も必要な国民であるはずなのに。

個々の生産性に見合うだけの、人間的な幸福を確認する場所がない。労働という不幸だけが人生を被い、ならば労働そのものが幸福なのだとおのれに言い聞かせつつ生きる。かくてその労働の場を奪われれば、いともたやすく自殺してしまう。

すなわち、そうした悲劇的国民性の中で希求するリゾートは、決して「無為」であってはならず、「非日常」であってもならぬのであろう。仕事と遊びの中間にある「付き合い」という曖昧な時間を過ごし、たまの休みには東洋的悪習慣により、家庭をそっくりワゴン車に詰めこんで、ささやかな旅に出る。すべてがそうであるから、リゾートのコンセプトは「接待に便利な」か、「家族そろって楽しめる」かの、どちらかになる。

日本人の生活は、たとえ遊びでも有為でなければならず、家長の責任として負った日常は、どこまでも引きずっていかねばならない。こうした余暇の過ごし方に幸福を見出そうとするわれわれは、まことに不幸な国民である。
たとえば、明治以来さまざまの社会機能を欧米から移植しながら、ついに今日までカジノの登場を見ないのは、その存在が無為かつ非日常だからなのであろう。

■四度目のR・S・F(ロイヤルストレートフラッシュ)

シャルム・マリオツトのプライベートビーチは、世界一の透明度を誇る紅海に面している。
デッキチェアに身を横たえて読書をする。海外のこうしたリゾートでは、どのように難解な書物もふしぎなくらい頭に入る。「非日常」の魔法である。来客も電話もなく、仕事の予定もなければ家族もいない。耳に入る言葉は意味不明の外国語なので、気が散ることもない。

そもそも読書好きが昂じて小説家になったのであるから、執筆に追われて本が読めなくなった近ごろの現実は、自家撞着も甚だしい。そこでいつのころか、海外に出るときは一抱えの書物を携行するようになった。それを飛行機の中でもホテルでも読み続け、読みおえたものは現地のガイドや知人に渡してしまう。帰りの荷物は軽くなり、日本語の書物に飢えている友人知人には何よりも喜ばれる。

むろん家にいるときも一日に四、五時間は読書をしているのだが、ほとんどは執筆のための資料で、いわば仕事に役立つ実用書を読んでいるに等しい。こうした読書は邪道である。
人生の糧たらしめんとして読書をしたところで、そうした不純な意識から教養などは身につくはずがない。娯楽として読みたい本を読んでこそ、初めて得るべきものを得るのである。

人生を豊かにするためには、心を豊かにしなければならない。物質的な豊かさには極みがないからである。そのためには、「さしあたってどうでもいい書物」を読むことこそが肝心なのであって、どうもわれわれ現代人にはそのあたりの余裕もなければ認識もないように思える。学問も芸術もその本質は娯楽であるということを、人は忘れている。

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