悪夢の難病宣告~急速進行性糸球体腎炎

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国際親善病院

2021年6月25日、この日を境に私の旅人系投資家としての人生は180度変わったと言ってもいい。
この先何年かのうちには、今のコロナ禍も収束するときが来るだろうが、私の人生は余程の奇跡が起きない限り、元に戻ることはないような気がするからだ。

今思えば、2019年12月10日の負傷事故からの復活劇も奇跡に近いと言われたことがある。
このようなことを私の人生で二度も起こすことが可能なのか。
それは神のみぞ知るところである。

難病宣告を受けた夜

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ここは難病宣告された6月25日の夜に、フェイスブックのタイムラインで告知した内容をそのまま掲載する。
このときは、多数の方から応援メッセージ(コメント)をいただき、あらためて、この場を借りて感謝したい。

2021年6月25日は私にとって一生の転換点になるだろう。

現実というものを突き付けられたとき、それを受け入れ、生きていかないといけないと思いながらも、それを受け入れるのは自分でも相当な時間がかかるなと思う。

先日の腎生検の結果の一部が出て、今朝の血液検査の結果と照合したドクターが私に告げた。
結果は透析離脱どころか、国の指定難病にもある病魔、急速進行性糸球体腎炎に私は冒されているらしい。

私が口を突いて出た言葉は、余命何年なの?だった。
ドクターは笑って、そんなことにはならないと言ったが、最悪のケースで、肺出血などを併発すれば、どうなるかわからない。

私は退院したら海外旅行どころか、終活を始めないといけなくなったかもしれない。
とりあえず、ここには7月上旬まで入院が続くことになった。

高熱にうなされた週末~ここが病院でなかったならば

国際親善病院

難病宣告を受けた翌日未明、尿意を感じてトイレに行った直後から、私は原因不明の震えと発熱に悩まされていた。
もしかして、これは難病の影響によるものなのか、あるいは別の理由によるものなのか、ナースコールでやってきた看護師が私の体温を測ると40度を超えていると言われる。

私は朦朧とする意識の中で、死をも覚悟していた。
死線を彷徨う私の頭に、2011年1月14日付の記事「死線を乗り越えて」、そして、3年後の2014年1月7日付の「トラブル続きの年末年始旅行、救世主は女性なのか」で書いたことが思い出される。
これらのときは、いずれも海外旅行から帰国する直前に肺炎になって、相当にヤバイ状況だった。

今回は、難病宣告のショックが冷めやらないうちの激烈な発熱、免疫力が十分にあった今までとは違って、このまま逝くなら仕方がないとさえ思っていた。
しかしながら、ここが入院病棟だったことが幸いして、看護師たちの献身的な治療の元で、激烈な高熱は、26日だけで山を越えた。

それにしても、これが退院後だったらどうなっていただろうか。
予定される週3回の通院透析と、高熱にうなされる日々が重なったとき、オンラインによるワンストップサービスなど望むべくもない環境下で、関連施設(病院やクリニック)に電話をし続ける余力があるだろうか。

個室への移動

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6月30日から退院までの予定で、4人部屋から個室に移動となった。
病院都合なので追加料金はなしだが、看護師の許可なく部屋から出ることはできない。

先週末に40度越えの高熱が出た原因が、首に付けた透析用カテーテルからウイルスが入ったと言われたのだが、そのウイルスが一般の抗生剤が効かないとかで、大部屋だと皆に移す可能性があるから移動しろと言うらしい。

部屋から出られない不自由さはあるものの、21時の消灯後も比較的自由にできるのと、同室者に安眠を妨害される可能性がなくなるので、このまま個室ライフを楽しむことにしよう。

7月はリハビリも病棟で実施

国際親善病院

7月になって、個室になったものの、部屋から出られなくなったことで、リハビリはどうなるのかと思ったら、理学療法士のSさんと作業療法士のKさんが、部屋まで出向いて実施することになった。
もちろん、エアロバイクに乗ることはできないが、筋トレを中心にやってもらった。

週末がヒマだからと、ベッドの上でもできるリハビリメニューを、作業療法士のKさんに作ってもらったのが、平日でも役立ちそうだった。
何しろ、タダでさえ運動不足になりがちなのに、退院したら真夏の炎天下を歩かなければならないのだから、少しでもトレーニングしておきたいと思ったからだ。

通院透析準備のためのシャント手術

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当初は6月28日に予定されていた通院透析用のシャント手術、上述したように、26日から28日にかけて高熱にうなされていたので、7月1日に延期になっていた。

この日、延期となっていた手術が無事に終わり、その模様をフェイスブックのタイムラインで告知したのだが、ここでも同内容のことを掲載したい。
このときも、多数の方から応援メッセージ(コメント)をいただき、あらためて、この場を借りて感謝したい。

2021年7月1日、ついに左手に透析用のシャント手術をした。
当初はこれを避けて退院できるという観測もあったが、国指定の難病、急速進行性糸球体腎炎に冒されていると告げられ、避けることができなくなった。

手術は2019年12月10日に背骨を骨折したときの緊急手術に比べれば、気楽なものだったが、術後はまるでギブスを嵌めているかのような容体になっている。
局所麻酔だったので、手術室の天井を見ながら、背骨骨折のときはICUに3日いて、生死の境目にいたことを思い出し、何て数奇な運命を辿っているのだと思った。

2年のうちに、全く違う事由で、違う病院の手術台に上るなんて、誰が想像しただろう。
それに、病院がまるで自分の別荘のようになっている。
退院予定が7月半ば、こちらも2年間のうち、半年を病院で過ごしている。

明日からは、プレジデントの記事「ある日突然『人工透析です』高血圧、高血糖、高コレステロールの人が知らない”あるリスク”」でも紹介されていたテルミサルタンという血圧の薬を飲むことになった。

難病告知前に、ウェブを見せて、私がドクターにやってみてくれと言ったものだが、記事によれば、「テルミサルタンは血圧を下げるだけでなく、血圧に無関係に腎臓を良くする素晴らしい効果があることがわかったのです。」とあった。

私のような難病を患った者に効くかどうかわからないが、昨年のような歩行器生活から奇跡の回復を演じたときのようなことを期待したいと思う。

最後に

国際親善病院

6月25日に、私が国指定の難病、急速進行性糸球体腎炎に冒されていると言われた後、どのような病気なのか難病情報センターのウェブサイトを見てみた。

  • 腎糸球体に急速かつ激烈な炎症が生じ、数週から数か月間の経過で腎機能が急速に低下して腎不全に至る。
  • 腎疾患の中でも最も予後が悪く、治療にも難渋することが多い。
  • 治療を開始した場合には、重篤な感染症が合併する危険性も高く、それが原因で死亡することもある。
  • 2年間での死亡率17.1%、腎不全による維持透析への移行率(腎死率)26.6%である。

また、家庭向け医学書の一つ、MSDマニュアル家庭版の「糸球体腎炎」のページには

  • 約50%の患者は、腎不全を発症する1カ月ほど前にインフルエンザに似た症状を経験しています。
  • 治療を早く開始するほど、腎不全に進行する可能性や透析の必要性は少なくなります。腎不全を伴う慢性腎臓病に移行した人には、ときに腎移植が検討されますが、移植された腎臓で急速進行性糸球体腎炎が再発する場合もあります。

おそらく、今回の難病罹患で、唯一救われる可能性があったとしたら、4月14日の国際親善病院の内科検診時に、クレアチニン値の異常な悪化が見られたときだろう。
この時点で精密検査云々の話があれば、おそらく透析になることはなかったに違いない。

その後、5月6日の通院時に、腎機能に若干の改善が見られたが、その裏では、さらに病状が進行したことだろう。
今更ながらに嘆いても過去は取り戻せないが、わずか2カ月の差で、人生に大きな違いが出てしまったことは間違いない。

ただ、不幸中の幸いなことは、尿量だけは正常な状態で出ていることで、それゆえに、それほど厳しい食事制限や飲水制限を言われることはなかったが、それもいつまで維持できるかは神のみぞ知るところである。

ちなみに、腎不全を発症する1カ月ほど前にインフルエンザに似た症状、思い当たるとすれば、2021年2月9日付で「パナドール(Panadol)を解熱剤の常備薬に」を書いたときかもしれない。
このときの発熱騒ぎ、このときの内科診断では、新型コロナウイルスにもインフルエンザにも感染していなかった。

何で、こんなに高熱が続くのだろうと訝っていたのだが、このときに急速進行性糸球体腎炎を発症していたのだろう。
まさか、このときはそんなことになるとは想像だにしていなかったのだがね。

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